Re: 【短編小説】ハッピーアワー
それは連休を失ってから数度の出勤と労働をした帰り道でのことだ。
おれはバス待ちの列に並び、自分の影に引きずっている疲労だとか自分の人生に関する後悔や諦観をどうやったらすり減らせるのか考えたりしていた。
それが馬鹿馬鹿しくなれば、次は今後の人生だとかについて思いを巡らせていたけれど、釘バットやチェーンを振り回す鬼的なやつが列に並んでいるおれたちの影を蹴散らして回った。
意思なんてのはどれほど積んだところで人生は改善されたりしないと言うことらしい。
ロータリーに入ってきたバスは煙草を吸い過ぎた老人の歯に似た色をしていた。
おれ達はジジイの歯に飲み込まれていく。そうだ、バスの列が進んでしまったので仕方なく乗り込むんだ。
それも労働のひとつだ。帰るまでが労働だ。
運転席にいる上半身だけのメカ運転手はメカの割には愛想が良い。埃だらけになったそいつのお陰で通退勤はアトラクションだ。
そうやって少しずつおれ達は頭がおかしくなっていく。
メカ運転手は何語かよく分からない数種類の言葉で乗客に挨拶のような声をかけていた。
「おつかれでした」
おれも挨拶を返す。
「ご苦労様です」
でもあれはもしかしたら呪詛とかなのかも知れない。おれ達が祖父母に「いつまでも長生きしてね」と言うようなものだ。
お陰で今もまだ奴らは生きている。
おれ達はその為に働いている。賃金が奴らの血管に入り尿瓶に出ていく。何がロンダリングされてるんだ?
その問いはおれ達が病院のベッドに横たわるまでわかりゃしないだろう。
乗り込んだバスは駅前のロータリーを出て大通りを走り出す。おれはつり革にぶら下がって窓の外を眺める。精霊燈みたいに景色が流れていく。
その景色に派手な音のバイクが並んだ。
年式の分からない古いやつだ。四気筒エンジンは今じゃもう廃盤だ。
その旧型バイクはバスと並走している。乗っているのは白人の女だ。青白い肌をしてるのは白人だけだ。それくらい知ってる。
女は映画で観る白人の目玉みたいな青色をしたダメージジーンズと薄手の長袖シャツを着ている。
それに細い金色で腰に下げたポシェットを下げている。フルフェイスヘルメットの隙間からは長い金髪をなびかせている。
白人の女は四気筒エンジン独特の表情をしておれ達を嘲笑うようにメープルストリートを南下していった。
いつまで経ってもおれ達はルーザーだ。
ソビエトが終わった時だけは小銭で金髪を買えたらしい。それも今は昔。
バスからその姿を眺めていたおれは、もし女が転んだらハンバーグになるなと思った。
白人のハンバーグは工夫もへったくれも無いから不味い。だから女もそうだろう。きっと洗ってないに違いない。
だが女のバイクは横転したりせずに、何人かの痴呆徘徊老人を跳ね飛ばしただけだった。
轢かれた老人たちの首が転がっていく。
手をつなぎながら並んで歩く真夜中育ちの幼稚園児たちが、転がった老人たちの頭を蹴りながら進む。
引率の先生たちはその首を拾ってエプロンに下げてしまった。
ぶら下がった老人たちの首からは、血だとか年金だとか健康食品だとかが流れていった。
あれがおれ達の賃金の成れの果てだ。
美しいか?写真には残らない美しさがあるか?おれはそう思わない。
赤信号で停車したバスの前を幼稚園児たちが横切る。
光化学スモッグとか財政赤字とか痴情のもつれとかでミントグリーンに光っている空に浮かんだ雲は茶色い縞模様に見えた。
生きていて良かった瞬間はあるか?
次の連休はいつだ?
もう明日の労働が待っている。それは明後日に繋がっている。