Re: 【短編小説】就職
式場の大広間は線香と花の香りが混ざった不思議な匂いに満たされていた。
窓の外に目をやると、親戚が乗る高級外車が砂埃を立てて止まるのが見えた。
顔を見る前からウンザリした気持ちになる。
どうせ「就職はどうだ」とか「結婚は?恋人はいないのか」などとお節介をしては、そんなんじゃ駄目だぞと説教をするのだ。
言い訳も底をつきかけている。
襖を開いて、葬儀屋の男が入ってきた。
何か説明していたが、あまり耳に入ってこない。
棺の中に安置された祖父は、その身体に白装束を乗せているだけだった。
「死後硬直は数時間後には解けるんですよ」
だからもう硬直してないんですと言う葬儀屋は、俺たちの誰とも目を合わせなかった。
葬儀屋は祖父の傍らに膝をついて続けた。
「御遺体の関節を曲げるとポキポキ言いますけど、大丈夫ですから」
その大丈夫は死体損壊に該当しない、と言う意味なのだろうか。
気にする必要が無いと言うのは分かるけれど、いい気はしない。大丈夫だからってポキポキと鳴らせる気にもならない。
葬儀屋の指示通り、祖父の遺体をポキポキと鳴らしながら俺は祖父の冷たい手に籠手の輪を左腕に通した。
白装束って言うのは実際には乗せるだけで着させる訳じゃない事を初めて知った。
何か理由でもあるのだろうか。
俺の脳内で面接官が質問をした。
「何故か考えて理由を説明してください」
そうですか。
俺の記憶が正しければ1日に3,000人ほど死ぬ訳で、渡賃の六文が現代の価値で凡そ300円になる。
そうなると1日に90万ほどになる。
閻魔大王にショバ代を1/3の30万払うとしても残り60万近くある。
凄い商売だ。
そんな美味しい職業を放っておかれる訳が無いのだから、まぁどこかに構えた冥府極道の愛人か何かがやってる仕事なんだろう。
おそらく民間業者なんか入れる余地がある訳ない。
そうなるとやはりその冥府極道はそこそこの収入を得ている事になる。
いや、面接官が求めてるのはそう言う話じゃない。
3,000人を奪衣するとして、24時間無休でも毎時125人を脱がせる事になり、いちいち脱ぐのを待っていては回らない。
行列ができてしまうし、祖父のように気の短い人間は怒り出したり泳いで渡ろうとしたりするに違いない。
そこで奪衣婆は葬儀屋に頼んで白装束を乗せるだけにして貰っている訳だ。
俺ならそうする。
そうなると着脱は楽だし、なんならそのまま掛布翁に渡してしまえば良い。
むしろ先に服を脱いで重さを計ってきた人には何かしらの優遇が発生するかも知れない。
優先レーンみたいなものを作ると行列は軽くなる。
例えば葬儀屋に頼んで服の重さを決めておいて貰えばラクだ。
仕事の効率化になる。
だいたい六文銭も現金だと管理が面倒くさいし危険なので、生前振込の人は五文にするとかの割引をしても良いだろう。
ICカード払いなどは所持品の都合で持てない場合もある訳だし、電子決済は現実的ではないと言える。
だが少し考えてみて欲しい。
三途の川で奪衣婆と掛布翁が開業してから長い事を考えると、そろそろ渡し船もフェリーぐらいのサイズにはなってるだろう。
代替わりを繰り返して企業の規模も大きくなれば、経営も拡大していくはずだ。
フェリー乗り場だってあるだろう。
待合室も豪華になる。
なるほど。
運営費を考えると90万/日で賄えているかも怪しい。
案外とボロい商売でも無いのだろうか?
奪衣婆と掛布翁、葬儀屋が話をつけていると言うのは理屈が通るはずだ。
ただ経営的には葬儀屋に流れていく金も案外と微々たるものかも知れない。
葬儀屋も本業は現世での仕事がメインな訳だし、そこでの利益はそこまで無いかも知れない。
言われてみれば目の前の葬儀屋もイヤらしい腕時計をしている訳ではないし、先ほど見えた腰から下がっているキーホルダーにも高級車のそれは見えなかった。
葬儀屋が用心深い人間で、そう言った面を見せないタイプなのだろうか。
しかしマンションが凄いとか貯金が凄いとか──いや、あまりそう言う気配はしない。
そう言った人間特有の傲慢さとか弛緩した空気みたいなものが無い。
「どうされましたか」
葬儀屋が俺に訊いた。
俺は「あぁ、履歴書忘れたのでまた今度にします」と言って祖父の手を放した。
葬儀屋は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに曖昧な微笑みを浮かべて仕事を続けた。
ドライアイスで冷やされた祖父の手は冷たく、同い年の死んだ友人より乾燥していた。
親戚の叔父が来る。
就職活動の話をしないようにしよう。
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