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Re: 【超短編小説】桜前線異常なし

 八月も半ばを迎える頃には陽が傾くのも早くなってきた。
 おれは窓を開けて法螺貝を吹き鳴らしながら絶叫する。

「桜前線異常なし!」
 指差し確認。
「右良し!左良し!右良し!」
 声を出して存在確認!現在位置再確認!
 服を着替えて出勤するおれの頭上を桜前線と言う名前の巨大な赤ん坊が這いずって行く。
「おはよう!」
 巨大な赤ん坊のヨダレをしながら進む。赤ん坊は這う。それと同じ速度でおれ達は老いていく。
 桜が南から散っていく。
 おれ達は這う様にして冬に向かう。
 冬はなんだ?何色でなんの季節だ?

 駅のホームでは鳩と烏が乱行を繰り広げたまま電車に轢かれては学生たちがその引力に逆らおうとして射精する。
「間もなく、14番線から電車が発車いたします」
 それが何なのかおれにもわからない。
 ただ電車の乗り方もまだ知らない田舎者たちが我が物顔でドアの向こうに身を収めるので、乗り込めなかったおれは電車を一本見送る羽目になった。

 赤い顔でおれを笑う学生が、苦学生なのか親の脛齧りなのかは知らない。お前らはまだ反原発などと言ってはしゃいでいればいいし、勃起と射精に苦労する未来なんて考えもしないだろう。
 おれはジムをサボって飲み会に出てしまった帰り道、そんな事を考えてウンザリする。


「美味しかった」
「「「シュウマイ」」」
「スープが飛び出た」
「「「小籠包」」」
「海鮮を感じなかった」
「「「揚げ春巻き」」」
 無為鼻炎。
 そうか?まぁ、そうかも知れないな。そうであって欲しいし、そう願う。そうでないと困るし、つまり引力に負けて死ぬしかなくなる。


 危うく鳩と烏の乱行に混ざりそうになったまま、鼻をかみ終わったティッシュTHE鼻セレブを田舎者の背負いしリュックサックに押し込む。
 侘び寂びだ。
 目の前に立った田舎者が耳に刺し込んだイヤホンの三角に目玉を書き込むことでそれでお終いだ。
 陰謀か?無視しろ。

 おれはイヤホンを田舎者に返しながら訊く。
「アイスクリームを食べたいんだ」
 どこに行けばいい?
「なら電車を降りた方がいい」
 田舎者は面倒くさそうに答える。親切なんだな、アンタ。おれはラッキーだ。


 山の手線が24時間営業になった時に人類は解放される。
 何から?全てさ。
 そう、おれ達は山手線に棲む。山手線はトイレもシャワーも装備する。ベッドもあるし食堂だってある。キッチンを備え付けてもいい。鍵付きの個室だってある。
 でも田舎者だけが駅を出たところにあるアパートに棲んで、帰ってからリュックに押し込まれたティッシュを取り出す。
 その侘しさをおれ達シティーボーイは理解できない。


「食べたかった」
「「「ルーロー飯」」」
「我慢した」
「「「台湾まぜそば」」」
 おれ達は雨に打たれながら笑う。山手線にだって雨は降るのさ。だからホームドアを越えていく。
 鳩と烏に混ざる気は?
 ないよ、疲れた。


「右よし、左よし、右よし!」
 指差し確認。
 赤ん坊の速度で這い回る電車。
 おれ達は労働の奴隷だ。
 資本主義の犬だ。だから帰りたくないんだ。
 おれ達は山手線に棲むんだ。


 行儀よく真面目だった男たちが電車の窓ガラスを破る。
 モランボン楽団が奏でる国家。
 斉唱!
 おれ達は眠りにつくように死んでいく。内山の手で死んでいく、最初ら生など無かったかの様に、おれ達は。

 やはり桜前線は異常無く、今日も新たな桜を裂かせている。
 同じ速度で回る山手線に乗って、死ぬ。陽は傾き長い影を伸ばしていくが、それを追うのにも疲れながら、山手線は。

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