Re: 【短編小説】勝UMA投票 MySweetHome独歩シャドー
人生はクソだし、死ぬまでの暇つぶしにも飽きてきた。
そしてその日のおれは、人生に対して残り少ない希望みたいなものを、いくばくかの絶望に替えようとしていた。
「お宮さんのひとかい」
後楽園のウインズで煙草を吸っていると、傍にいた見知らぬジジイが話しかけてきた。
「いいや、全く関係が無い」
おれは笑って返す。
おれの耳にぶら下がっているピアスは、確かに仏具の様なピアスで、丸い飾りの下に赤い紐が幾筋も垂れ下がっている。
仏具に見えなくもない。
だがそんなものは何の証にもならない。
お迎えに見えたんなら、そいつは早とちりだ。さっさと病院にでも行った方がいいし、おれには説教なんてできやしない。
救われたいのはこっちなんだ。
だけどジジイは蜘蛛の糸を垂らしたりしない。
5000兆円だってくれない。
おれがくれてやれるものもない。
人生のクソさと暇つぶしさえ無くしそうな倦怠感だけがポケットの中にある。
「どうだい、今日は」
おれはジジイが握っている投票券を見ながら訊いた。
「駄目だよ、大きく勝ったレースもあるけどガミったレースも多い」
ジジイは話し相手を見つけた嬉しさでションベンを漏らしそうな勢いだった。
孤独はクソだが、人生のほとんどは孤独でできている。そしてその孤独を潰そうとして多くの人間が失敗る。
だがおれも他人のことを言えない。
失敗ってなけりゃこんなとこにいねぇ。
「そうか。おれも、まぁそんなもんだよ」
昨日の賃労働が数センチ四方の投票券になる。そして数分でゴミ箱にたどり着く。
ジジイが続ける。
「堅く勝ったレースは勝てるけどな、少しでも夢を見ると駄目だ」
「おれは夢見てばっかだからな、ちっともだ」
「穴党はツライな」
ジジイがおれを励ます。
「まぁ覚悟の上だよ」
おれはジジイの目を初めて見た。
綺麗な目をしていた。
スピーカーからファンファーレが鳴るのが聞こえた。
おれとジジイは顔を上げてモニターを見る。
どうせ中央のUMAが勝つんだ、そんな事は分かっている。
だがそんな投票券を買ったって面白くない。
本当に生活が懸かっている、そんな気配のする人間たちの背中を見つめながらおれは煙草を灰皿に押し込む。
人生はクソだ。
暇つぶしも底をつきかけている。
だがこの瞬間だけは退屈しない。
ゲートイン。
静寂。
一斉に飛び出して砂の上を走る色々なUMA。
ラスプーチンだとかマイケル・ジャクソン、東條英機なんかが一斉に走り出す。
道鏡が自分の陰茎に足を引っかけて転んだところで客席から大量の投票券が舞った。
硬いレースが荒れる。
ザマァみろ!他人の運命が滅茶苦茶になる快感だけが背骨を駆け上がる。
「今のレースはやってたのかい」
ジジイに訊くと首を横に振った。
「いちいちやってたら破産しちまうよ」
年金暮らしだからなと笑う。
おれもつられて笑う。そいつはおれたちの献上金だよ、そう言わなくなっただけ大人になったのかも知れない。
そうだ、いちいちやってたら破産しちまう。だが人生をすこしばかり伸ばしてなんになる。
その自問自答を繰り返してきた。
単なる誤魔化し。イカサマだ。
ジジイが手の中の投票券を握り潰す。
「次のレースはどうするんだ?」
いまのレースやってたんだな、と言わない優しさを感謝しな。
「徘徊痴呆老人のレースなんか新胤戦よりわからねぇ」
ジジイ、あんたが出るならアンタに張るぜ。
だがジジイは首を振る。
そりゃそうだ、アンタはまだ呆けちゃいねぇ。
「コーヒーでも飲みに行こう」
喫煙室を出ようとするとジジイは「コーヒーよりココアが好きなんだ」と言う。
構わないさ、奢ってやるよと言うとジジイは歯を見せて笑った。
賭けをしようか。
ジジイの歯はどれが先に駄目になる?
最有力は前歯、オッズ1.1倍。もう穴が空いて喉の奥が見えそうだ。
ココアで溶かしてしまうんだろ、砂糖と生クリームもつけてやるよ。
おれは大穴の奥歯に賭ける。
もうとっくに親知らずは無くなってるだろ。そのひとつ手前の歯だ。オッズはいくつか、見なくたっていい。
投票締め切りのベルが鳴る。
生活者たちがモニターの前に集まる。
走査線の向こうに刺されと言わんばかりに視線が集まる。
ソーラーレイならとっくに発火しているだろう。
ゲートの向こう側にいるのは?
父親
母親
妹
自分自身
精子
万引きして捨てたエロ本
煙草で燃やした廃屋
かっぱらったママチャリ
同級生を刺す予定だったナイフ
ゲートインが完了する。
緊張と静寂。
ゲートが開く。
砂埃を上げてシナプスを駆け回る。
「じいさん、このレースはやってるのかい」
「馬鹿だな、いちいちやってたら死んじまうよ」
「そりゃそうだ」
おれは頷く。ジジイも頷く。
歯のことなんかすっかり忘れている。
構わないさ、それは約束じゃない。
手元にある投票券を見る。
「単勝 おれの人生」
応援投票券。
頑張れ。
オッズは知らない。
掛け金も知らない。
色褪せたQRコード。
冗談じゃあない。
こんな投票券は持っていたって仕方ない。
警備員がおれの肩を掴む。
「お客さん、まだ払ってない商品があるでしょう」
おれは振り向いて曖昧に笑う。
そうだ、おれはまだ何も買ってない。
支払っていない。
ジジイは旨そうにココアを飲んでいる。
他人のフリか。
まぁそんなものだ。
勝ったら酒でも奢ってやるとよ言って笑っていたジジイ。
先におごってやったココアの分くらいは擁護してくれてもよさそうなもんだがな。
だが人生はクソだ。
おれは素直に警備員に従う。
ウインズを叩き出される。
途方に暮れていた。
ここから歩いて家まで帰らなきゃならないのか。
知った事じゃあない。
それに時間は腐るほどある。
暇だしな。潰せる暇は潰すさ。
書き散らかした原稿用紙の分くらいは歩けるだろう。
真っ赤な夕陽に照らされて伸びた影は分解されて文字になりながら排水溝に流れ出ていく。
人生はクソだ。
投票券の降る町を歩く。
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