Re: 【短編小説】ドリーム電流爆破
空調の効いた部屋は広々としていたが、窓際に置かれた文机と、向かい合うように置かれた数脚の椅子だけの殺風景な空間だった。
「本当にやるんですね?」
わたしがアルミ製のごみ箱に竹刀や鞭などを詰め込んで部屋の真ん中に置くと、作務衣を着た作家先生は重々しく頷いた。
他の男たちも、黙って準備を進めた。
作業が落ち着くと、作家先生の奥方が和服姿で現れた。茶髪にいくらか金髪が混じり、何度見てもクラブのママと言った感じだ。
奥方は大きく息を吸うと、よく通る芯の強い声で本日の趣旨説明を始めた。
「それでは、これよりノールール有刺鉄線トルネードバンクハウス電流爆破デス執筆180分一本勝負を行います。
この執筆は幾つもの締め切りを逃した筆河重太郎先生の原稿を頂くべく、各社編集が行うデスマッチです。
生き残った編集が先生の新作を持って帰ることができます。
基本的に反則裁定はありません、また皆様はこの部屋……と言うより入り口に張られた有刺鉄線の向こう側にいく事は出来ません。
先生が手元のボタンを押し、電流を解除したのちに私がワイヤーカッターで切断した段階で部屋を出る事ができます」
すでに眼光鋭くなった奥方が歯切れ良くルールを説明すると、各社から送られてきた男たちも筆河重太郎先生の様に深く頷いた。
男たちが着ているよれよれのワイシャツは皮脂と垢で襟が黄色く汚れており、顔は疲労と睡眠不足で鈍く光っている。
目の下には深いクマが現れており、目は赤く血走っていた。
おれたちはここでもう二週間も先生の原稿を待っている。
この作家先生、書けば傑作間違いなしの作家先生ではあるがいかんせん筆が遅い。とにかく遅い。
締め切りなど守った試しが無く、あまりにも遅いが故に、どこの社とも専属契約が結べずにいつもこうして原稿の争奪戦になる。
「それでは参ります」
奥方は深呼吸をしてからゴングを打ち鳴らした。
かん、と言うやや間抜けた音が鳴ると同時に筆河重太郎先生は勢いよく原稿を書き始める。
やれるなら最初からそうしていて欲しい。
思えば最初の頃に聞いたワガママなんて可愛いものだった。
あれが食べたい、これが飲みたい。あの景色が見たい、海を感じたい、山を識りたい、雰囲気を深く味わいたい。
苦労もあったが、その分の成果──素晴らしい作品を下ろした。つまり出版社としては、それくらいの経費なら目を瞑ると言わざるを得ないのだった。
しかし、ここにきて要求が跳ね上がった。
ついには「誰かの生死がかかっていないと筆が乗らん」などと言い始めたので各社ともに困り果てた。
最初は格闘技の興行などに連れ出したが、国内に多い軽量級の興行ではなかなか派手なノックアウト勝ちに遭遇しないと不満を漏らし始め、次第に重量感のあるプロレスへと移り、最後にはハードコア系のプロレスに耽溺していった。
しかしそれにも慣れてくると今度は「彼らはプロだ、死なない程度の事を大袈裟にやっている。これでは満足が出来ない」などと風俗に飽きた素人好きみたいなことを言い始めた。
おまけに誰かが良くない映画を見せたのか「素人同士のケンカが見たい」などと言い始める始末だった。
しかし歌舞伎町を徘徊したところでおいそれと理想的なケンカに巡り合える訳でもなく、ついには最終手段として編集各社が殴り合いをするに至った。
そしてその結果がこれだ。
おれたちは凝り固まった首を回し、軽いストレッチをする。汚れたワイシャツの袖をまくり上げ、別に憎くも無い相手たちと向き合う。
……いや、憎いは憎い。お前らがいなければ、我が社だけで先生の作品を頂戴できるのだ。
今回は4WAYマッチになる。
殴り合いに尻込みした出版社は辞退していった。つまり残っているのは気合いの入った奴らだけと言うことになる。
基本的な戦略としては、とりあえず最大手の編集さんを潰しに行くのが鉄則だ。ゆえに最大手の編集は酷く警戒している。
また一番資本力の無い弱小編集も排除対象になりやすい。展開力の無いところに先生の原稿を渡したところで次に繋がらない。
だが大手と最弱が組んで我々の様な中堅を倒したところで、最後は大手が勝つ訳なのでタッグ戦傾向にはならない。
さて、どうするか。
目の据わった男たちを一瞥する。
前回、前々回と我々の様な中堅が獲っているから今度こそと言う意気込みを大手と最弱から感じた。
「その熱気が嬉しいのだ」と筆河重太郎先生は笑っていたがこちらはそれどころではない。
会社からは我々が勝手にやっているのだから労災なんて効く訳がないだろう、と言われる。
ちくしょう、ボーナスくらい弾んで欲しいものだ。
作家先生に目をやると、机に向かってわざとらしくカリカリと音を立ててなにやら書き進めているが、こちらの様子を伺っているのはバレバレだった。
おれたちも意を決して腰を低く落とす。
目が合った大手の編集とロックアップをする。こいつ、まる三日は寝ていないだろに馬力がある……。
その隙に最弱出版社の編集がパイプ椅子で大手を殴ると、椅子の座面が抜けて天井まで飛んでいった。
先生とチラと見ればいよいよ前傾姿勢になって勢いよく原稿用紙を埋めていっている。
よし、と小さくガッツポーズをしたところで中堅他社の編集によって、おれの身体に脚立が被せられた。
そして腕を動かせないまま竹刀やらギターやらで滅多打ちにされた。
耐えかねたおれが、脚立を掴んでそのまま身体を回転させると、コンパスの要領で脚立が回転して最弱編集と中堅編集が吹っ飛んだ。
猛烈な勢いでもって先生は書き上がった原稿用紙を次々と重ねていく。
額から血を流した最弱出版社の編集が有刺鉄線バットを持ちあげた。それを見た大手と中堅他社がおれの脚立を抑える。
最弱の編集が満面の笑みで有刺鉄線バットを振りかぶった。
がしゃん、とも、どかん、とも言えない激しい炸裂音が聞こえた。激しい火花が散って火薬の匂いが立ちこめる。
すっかりダメになった三半規管を気合で落ち着かせながら先生の方を見ると、さっきよりもさらに原稿が積み上がっている。
よし、これなら良い調子でイケるだろう。
わたしは脚立から抜け出すと最弱編集をヘッドバッドと逆水平チョップで叩き、部屋の入り口に張られた有刺鉄線ロープに向かって投げ飛ばした。
最弱編集は有刺鉄線に触れるや否や再び激しい爆音と花火に飲み込まれて気絶した。
いつの間にか廊下に立った先生の奥方が「本日は火薬の量を10倍にしてあります」と静かに言って笑った。
「そんなことは聞いていない!」
中堅他社の編集が絶叫したのと同時に、背後から近づいていた大手編集がその男にアルミのゴミ箱をかぶせると、すかさず有刺鉄線バットで殴りつける。
再び激しい破裂音や火花と煙に部屋が包まれた。
先生は背中を丸めて顔を原稿用紙に擦り付けるようにして書いている。
焦げ臭さと煙の中、おれたちは立ち尽くしていた。
「やはりお前か」
大手の編集がわたしに向かって言う。
「冗談じゃないよ、資本力が違うんだ。おたくの会社なら他所を当たってくれてもいいだろ」
おれは血と共に吐き捨てた。
だが、おれが吐き捨てた血が床で跳ねて、積み上げてある先生の原稿用紙を少し汚した。
その瞬間だった。
「先生の原稿を……」
大手が鬼の形相で向かってくる。
おれは手にしたままの有刺鉄線バットをフルスイングした。
「いやぁ、今回も素晴らしかったよ」
先生の目は爛々と輝いていた。初めてエロ本を読んだガキみたいな目だと思った。
手渡された原稿の束は、おれの血以外にも様々な汚れがついていた。
おれはそれをチラリと見て
「なんすかこれ、煙草で焦がしたんすか」
と言って、奥方の差し出した茶を飲んだ。
口の中が切れていて、ひどくしみる。今夜はメシが食えないかも知れない。
とにかく自分でも礼のつもりかお辞儀のつもりか分からないまま首を前に動かして、クソったれた部屋を出て行った。