
Re: 【短編小説】富国強兵行の最終電車
結婚をした。
かつてはめでたいお祝とされていたことらしい。しかし古い文献には年貢の納め時とも記されている。
婚前交渉が盛んだった時代では不純異性交友なども多かったらしい。
とにかく今はもうむかしと随分と違っている。
生まれた瞬間に検査されたDNAと学業の成績、私生活の傾向から判断して国家が自動的にマッチングする相手が生涯の伴侶となる。
この制度はなかなかのもので離婚率はかつてと比較すると激減したとの記録がある。
現在はまず0.01%を上回る事が無い。
おかげで出生率は高く他の先進国を遥かに凌駕しているらしい。
チンチロチンチロチンチロリン!
大本営発表!大本営発表!
我が国力は他国を圧倒的に凌駕せり!
産めよ!増やせよ!地に満ちよ!
あくまでこれは聞いた話でしかない。
DNAエリート(当然、学業も私生活も優秀だ)たちはそう言った人間同士でマッチングされるらしい。
よって階級と言うか、優秀さの分断は激しいようだ。一部の優秀な層で近親婚にならない配慮というのか大変だとも聞く。
優秀さの一極集中。
我が国はこれらの優秀なひと達の繁殖によって進歩している。その他はフリーライダーとなる。利便性を享受するなら勤労と納税は仕方ない。
当然ながら逆の劣性と呼ばれるフリライダー最下層では、劣性同士でマッチングされるから自然と貧弱な個体の遺伝子は淘汰されるようになっていると聞いた。
その様なマッチングシステムに向けて努力すると言う研究結果もあり、こちらもなかなかの成果を上げていると見て良いだろう。
年々、犯罪率や事故の発生率、自殺率は低下しているし病気や怪我なども少なくなっているとのことだ。
ッターン!!
「それは変じゃないか」
ぼくが激しく叩いたエンターキーの音と同時に、先輩がコーヒーの入ったマグカップを机に置いた。
マグカップを持つ白い指には煙草が挟まっていた。
「何がです?」
煙に顔をしかめながらコーヒーに灰が落ちていないか覗きこむと、先輩は鼻で笑って煙草を唇に挟んだ。
手と同じくらい青白い肌と光沢の無いリップが冷たい印象を放つ。ネイルはひび割れたような模様になっていて、それは故意なのかズボラなのか分からなかった。
「目的が富国強兵ならエリートを増やすより球数を増やすだろう」
「やっぱそうなりますかねぇ」
「それにエリート族はまだしも、劣性同士のマッチングはしないんじゃないか」
先輩はマウスパッドの上に小さな尻を乗せた。
ぼくはその場での改稿を諦めて先輩の淹れたマグカップに手を伸ばした。ぼくの手が先輩の太もも上空を通過しようとした瞬間、先輩は膝を上げてぼくの手を撃墜した。
「ワガママな膝小僧、ってね」
「なんですか、それ」
きみはもっと雑学に知見を広げた方が良いよ、と笑って続きを話した。
「ここでいう下の何割かは不妊手術を施して早いところ断種すると思う」
先輩は机を降りて腕を肩に回すと、もう一方の手でモニターの当該部を指さした。
肩に回された先輩の手には煙草が燃えている。
煙が鼻をかすめた。
煙草の燃える臭いと香水、その奥にある生々しい先輩自身の匂いが混ざって脳みそを刺激する。
全身のカロリー全てを使って理性と言うブレーキペダルを踏み込む。
「そこまでやりますかね」
指のひとつでも動かしたらペーパーロックを起こしそうだった。
「恐らく初期段階では労働力だったろうけど、あまりにも足手まといならそこに合わせたりカバーしたりするのは不利益だ」
先輩はぼくの状態などつゆ知らずと言った感じで頭を近づけながら「ほら、ここもおかしい」などと校正を入れる。
シャンプーの匂い、埃の臭い。
目眩がするほどの春情が目の奥でチカチカと点滅する。
「でもそうなるとだんだん通常の範囲も狭くなりませんか?」
冷えて酸味のたち始めたコーヒーを喉に詰め込む。
それでも先輩の匂いは消えるどころか、いっそう濃くなった気すらしてしまう。
「それより速いペースで増えればいいだろう」
先輩はぼくの首に絡めていた腕をほどいて背筋を伸ばすと、腰のあたりをトントンと叩いてから両腕を真上にして伸びをした。
薄い胸骨に張り付いた控えめな胸を包むブラジャーの柄と色が少し透けて見えた。
「紫と黒……」
「ん?」
「いえ、その足切りラインより早く増えれば良いというのはそうですけど」
先輩は少し笑って少し離れた椅子に腰を下ろした。
キャスター付きの椅子が数センチ遠ざかる。
「エリート族は頑張って繁殖して欲しいよな」
先輩は短くなった煙草を見ると、ピアスのついた舌で火を消してから指で弾き飛ばした。
「なんか割と頑張らないと近親婚とかになりそうですね」
先輩とマッチングされる確率はどれくらいあるのだろう。
脳みそにしまい込んだ先輩の匂いが皮膚の下で脈打っている。
「そこら辺は大丈夫だろ、検査してるんだし」
「うん、そうだ。そういう設定です」
「それで、どうするんだ」
春情を見透かされた様でどきっとした。
「どうって、何がですか」
この後は時間あります、と言いそうになって堪えた自分をこっそり褒めた。
「そのシステムを打破する主人公的な」
「そんなのいないですよ、満足するようにできてる社会なんですし」
「え」
「え」
初めて見る先輩のマヌケ面にびっくりして聞き返してしまった。
「待てよ。変えないのか、そのシステムを」
眼鏡の奥でいつもは薄い目が見開かれていた。
あれは三白眼と言うよりは四白眼だろう。
「変えませんよ、誰も。国は富国強兵を達成して、先進国でも最強なんですし」
「いや、そうだけど」
「自由があるから悪いんですよ。自由なんて無くせばいいんです」
「米国の存在意義を根底から覆す感じか」
「自由とは余裕です。その余裕を無駄と称して切り詰めるならそうなりますよ」
「理論値では、みたいは話になってきたな」
先輩はスカートのポケットからショートホープを取り出してブックマッチで火をつけた。
たまにはぼくも吸ってようか、と思った。
「食料も何もかも配給にするんです。その為には身体適正を国家が把握する必要がありますが、毎年の健康診断とかがそれですね」
「そう、なるよな」
太った派遣医の汚い指が先輩を触診する。
毛だらけの短い指でやや痩せすぎと書き込むのだろう。
その箇所をぼくが丁寧に洗いたい。
じっと見据えた目を先輩が逸らす。
「その身体にあった配給でさえあれば良い訳だ。それを5世代くらい繰り返せば安泰だろう」
「それを何世代か繰り返して完成するのがこの中の富国強兵ですね」
「マシーンと化した国民か」
「その目的は」
「その目的は?」
「誰も改札口でひっかからない」
そう言うと先輩は笑って「ピンポーン」と自動改札が閉まる手振りをした。
「叩きつけるスイカ!」
「残高は足りていない」
「接触不良でもない!」
「引き返せ」
「引き返せ!」
「その為に国民を改造するのだ」
「赤信号だって最後まで走って渡る!」
「車間距離だって詰めすぎない」
「歩きスマホもしない!」
「だって我々はマシーンになるのだから」
「機械の身体は要らない!必要なのは機械の精神だ!」
「労働も納税も投票もする」
「脱税も無いし投票率は100%だ!」
「必要なのは機械の精神だ」
「必要なのは機械の精神だ!」
「よし、行こう」
「うん、行こう!」
ぼくは先輩の手を取って部屋を飛び出す。
柔らかい手は少し冷たく、そして軽く汗ばんでいた。
廊下に二人の足音が響く。
ぷるゝゝゝゝゝゝゝゝゝゝ!!
間もなく、13番線より各駅停車が発車いたします。
お乗り遅れのないよう、ご注意ください。
なお、この電車は富国強兵に向かう最終電車です。
社会主義、資本主義、福祉への接続はございません。
「さぁ行きましょう!鉄の身体を手に入れに!」
「腹筋腕立てスクワットを毎日100回ずつだな」
「それをやって折れない心を手に入れに!」
「でもたぶん終電間に合わないよこれ」
「じゃあ明日でいいですかね」
ぼくはそのままラブホテルの自動ドアを潜り抜けて空調の効いた部屋で先輩と繰り返し重なる。
「おい、どうした」
先輩の指に煙草が挟まって燃えている。
煙草の燃える臭いと香水、その奥にある生々しい先輩自身の匂いが混ざって脳みそを刺激する。
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