労働ペダル
労働はクソだ。だが賃金分の価値はある。……前半分には同意する。
働きたくはない。働きたくはないが、それは事故や病気で寝たきりになって労働をしない日々を過ごしたい訳じゃない。目覚めたら巨大な虫けらになっていたい訳でもないし、雪国にいたい訳でもない。
いや、雪国は良いかも知れない。
トンネルは成長のメタファーだが、労働は何のメタファーなのだろうか。定期券を持っていると言う事は所属する場所があると言うことだ。ならば自転車に乗って会社に向かう、定期を持たない俺は一体なんなのだ?
とにかく労働はクソだし働きたくない。働かなくて良い権利が欲しい。正確に言えば都内の土地が欲しい。いや、その管理に気を使いたくも無い。現金が良い。みんなが欲しがる現金で黄色い子犬を買って、ほんたうのさいわいを強く抱きしめて眠る。
夢だ。
後ろから排気音が迫る。
水曜どうでしょう、と書かれたステッカーを窓に張った車が水しぶきを立てて走っていく。オレンジ色のテールライトが滲む。今時珍しいディーゼルエンジンの車だ。車体には水色と黄色の四角いステッカーが貼られている。
雨が降っている。
アスファルトに積もった埃が濡れる匂いがする。
自転車のハブが軋んで狂った夜の闇の様な音を立てる。タイヤが水を跳ね上げる。通り過ぎた家の換気扇からカレーの匂いが漂う。自転車のハブが軋んで狂った夜の闇の様な音を立てる。足元に水が絡みつく。通り過ぎた家の 換気扇から唐揚げの匂いが漂う。
夜は生活の匂いが強い。
生きる希望に満ちあふれた匂いだ。朝の乾燥した疲弊に満ちた匂いとは違う。つまり朝はクソだ、起き上がって布団から出る価値があると言う事だ。前半分には同意するよ。
匂いの先にあるものを想像する。想像は弱者のものだ。強い存在は想像なんてしない。それをしなくても結果が得られるからだ。つまり現実の食卓を囲む彼らは強者であり、路上で雨に打たれながら想像をする俺こそが弱者だと言う事だ。俺こそが狂った夜の闇だ。タイヤが夜の闇を跳ね上げる。自転 車のハブが軋んで水の様な音を跳ね上げる。
想像。想像。想像。
路上に積もった生活が雨に濡れた匂いを嗅ぐ。想像を手放しても強くはなれない。想像を始めたら死ぬまで想像をするしかない。
想像なんてしない誰かが税金対策用に建てた無人の餃子販売所が光る。コンビニにだって季節はあるが、無人の餃子販売所には季節が無い。
そもそも俺は季節を知らない。
季節の無い街に生まれて風の無い谷に育った。食べる物にも季節が無い。ビニールハウスを季節とは呼ばないように、この街で育った俺が季節を知る由も無い。結局、俺の様な労働者に食わせるものなんてのはハンバーガーや牛丼で十分なのだ。鮨屋に行ったところで季節を知らなければ喰うべき魚も分からない。
俺はペダルを踏む。賃労働に対する恨みと憎しみが回る。
電車に乗っている奴は良い。気が向けば逆方向の電車に乗って遠くへ行ける。自転車はクソだ。自分で行先を決めなきゃいけない。労働をサボるのにだって自分の意志と足を酷使しなけりゃならない。そんなものはサボタージュとは言えない。
電車。そいつは想像のことだ。行き先に対する想像がある。自転車はその真逆だ。現実を踏み続けている。
だが俺がいまペダルと言う現実を踏んでいるのは結局のところ賃労働からの帰り道であり、明日の賃労働と言う現実に備える為だ。賃労働の為に飯を食って賃労働の為に眠る。賃労働の為に現実と言うペダルを踏み続けて暗い夜道を転がる。