Re: 【小説】シュトーレンガール
午前0時。昼間に吹いた春一番の後で降った雨は冷たく、また冬を呼び戻した。
間もなく日付が変わる瞬間に、おれは灯油とガソリンが混合された瓶を手に下げて立っている。
燃やさねばならぬ。
彼奴が金閣に火を点けたいという気持ちを分からなくはない。
だがおれな金閣に火をつけたいと思う事はないだろう。おれは案外とあのアホっぽさが好きなのだ。
金色に輝く金閣、湖面の光すら反射する黄金、その美しさを永遠にする為には焼かねばならない、云々。
気持ちはわかるよ、でもやはり美しいものは美しい。
そして醜いものこそ破壊しなければならない。
雨上がりの冷気か、冷や汗か。身体を震わせる。いや、これは武者震いだ。
おれは吉祥寺北口にできると言うドン・キホーテ予定地の前に立っている。
やめていた煙草に手を伸ばした。
短い希望。そう、刹那的で良い。その光が照らすのは明るい未来だ。
おれは瓶の口に刺さっているタオルに煙草を押し付けた。
灯油とガソリンの染み込んだ布は勢いよく燃える。
そしておれが振りかぶった瞬間だった。
背後から別の瓶が勢いよく飛んできた。
壁に辺り割れると中から液体が飛び散り、そして燃え広がった。
振り向くとそこには咥え煙草の女子高生が立っている。
「やりぃ」
女はおれを見ると歯を出して笑い
「早く投げないと大変だよー」
と歌うように言った。
おれは我に返って慌ててそれを投げると、やはり瓶は割れて中の液体が飛び散って勢いよく燃えた。
ふたつの炎が混ざってひとつの大きな炎になった。ひとつの大きな炎がおれと女を照らす。
「あーしが先っしょ」
女子高生は前屈みになってルーズソックスのひだを直しながら喋る。背負った落書きだらけのスクールバックが金メッシュの茶髪頭に被さる。白いセーラー服が風にたなびく。
おれに話しかけてるのか?独り言か?
火災報知器が鳴り響く。品行方正な武蔵野市民たちはまだ野次馬に来ない。欲望にスローモーな奴ら。目の前で燃えるそれが、その成れの果てだ。
女子高生は自分の指を嗅いで「ウケる、灯油臭えんだけど」と笑いながらおれの顔を見た。
「やっぱ吉祥寺の南北にドンキは無いよね」
見開かれた目は炎を宿したように赤く染まっている。
女子高生はその赤い目をおれに向けたまま、短くなった煙草を炎の中に投げ込んだ。
爆ぜるような音がドン・キホーテの建物を崩していく。青いペンギンは表情を変えずに炙られていく。お前はジャンヌダルクじゃない。だが悪魔だ。
女子高生はひとしきりスクールバッグを漁ったあと、またおれに顔を向けた。
「煙草なに吸ってんの?一本ちょうだい」
胸ポケットから煙草を取り出して一本を彼女に向ける。
「あんがと。知らない人にやさしいね」
女子高生は笑った。
おれは何も言わずにマッチでその煙草に火をつけてやる。
「やっぱさ、吉祥寺に南北にドンキは無いよね」
女はさっきと同じことを言った。おれは曖昧な相槌を打った。
「あーたもさ、それは無いと思ったからここに来た訳っしょ?なんか南のドンキじゃなくてこっちを燃やしに来てるの、思考回路同じって感じでウケんだけど」
「吉祥寺はもう吉祥寺じゃないんだよ」
「お、喋ったぁ」
女子高生が嬉しそうにはしゃぐ。
おれは相貌を崩さないように続ける。
「駅前の喫煙所も無くなったし、和歌水も消えた。もう一圓もだって無い。ピワンも移転した。
あのハモニカ横丁だって旦過市場みたいに放火で燃やされて不動産開発の餌食になるだろう。まだそうなっていないのがおかしいくらいだ。
ヨドバシ、ユニクロ、ドンキ。そういう大量生産的な消費に対抗する街だったんじゃないのか、個人の地産と個人の地消が嚙み合って回る歯車みたいな街だったんじゃないのか」
おれは自分が自分の言葉に酔いながらキレ散らかしていくのを感じていた。
女子高生はおれの演説を愛想笑いで受け流した。
「ウケるー。あー、半分くらい何言ってっかワカんねーけど、やっぱ吉祥寺の南北にドンキは無いってことっしょ?ならそれで良くね?おにーさんがなにと戦ってんだか知らないけど」
女子高生は短くなった短い希望をやはり炎の中に投げ込んだ。
火災報知器は鳴り止まない。
遠くで鳴る消防車のサイレンが聴こえる。
「あんさー、おんなじよーな事してるあんたにちょっちお願いあんだけど」
女子高生はおれに向かって手を合わせた。
「あーしんこと、シュトーレンみたくしてくんね?」
彼女の願い。祈り。
おれはその下に溜まった涙のひとつぶでしかない。
彼女を鉈で叩き刻む。
全長155㎝。
クリスマスまで二か月。
60日で割って2.5㎝/日。
何日か経って膝から下を失った女が嗤う。
「やーこんな事なかなか他人にお願いできなくってさぁ」
輪切りのルーズソックスはできの悪いバウムクーヘンのようだ。
「それはそうだろうな」
おれはショートホープに火をつける。
「なんか難しーこと言ってたお兄さんならやってくれそうって感じがして」
おれは彼女を見下ろす。
「それで、なんでこんな事を頼んだんだ」
女子高生は寂しそうに笑う。
「だってさ、吉祥寺を焼いたって結局は南北にドンキができちゃうじゃん」
「まぁそうだな」
想像に易い。
「だったらさ、吉祥寺が美しいうちに自分が死ぬしかねーじゃんって思ってさ」
もっともだ。
そんなに吉祥寺が大事なら、吉祥寺が一番美しいうちに死ぬしかない。
女子高生の足からは大量の血液と、ほんの少しだけ脂肪が垂れる。
「そんな死ぬなら劇的に、ロマンチックにやりてーじゃん?」
分からなくはない。
おれにはそれを実行する勇気が足りなかった。死ぬには遅過ぎる。いつまで生きていればいいのかも分からない。
「したらさ、あーしは考えて、悩んで、思いついたのが、普通に飛び降りたり飛び込んだりするより、シュトーレンになりてぇーって」
そこがわからない。
シュトーレン、またはセルフ凌遅刑。
「えー、そこ気にする?お兄さんあんまモテねーっしょ」
女は笑った。
喉から血が噴き出している。
わずかな脂肪が垂れて白い光を放つ。
「そんなことを信じろと言うのか」
分厚い手が机を叩いた。
灰皿がひっくり返って机の上の砂州ができあがる。倒れた缶コーヒーが灰に吸われて固まっていく。
おれは目を覚まして椅子から立ち上がる。
軽く研いだ鉈で彼女を2㎝ほど刻み口に含む。
女は笑う。
おれも笑う。
ゆっくりとハロウィンやクリスマスの灯りが灯り始める。
赤い光がクルクルと回り紺色のツリーのてっぺんには金色の桜が光っている。
「狂ったふりをするのはやめろ」
残念だ。
ひとつため息を吐いてからお巡りさんの目を見る。
「なぜこんな事をしたんだ」
理由なんて無いだろう。
中学生の頃に女の子に告白をして、理由を訊かれた時に「理由なんて無い」と答えたが好きになった理由なんてのは無くても告白するのにはいくつかの理由があったし、それも含めてあの回答はゼロ点だったと思う。
「いまはそんな話をしているんじゃない」
じゃあどんな話をしているのか。
別に吉祥寺ドンキを燃やしたところで世界は美しくならないし吉祥寺が美しくなることは無いだろう。
かつての吉祥に戻る事は無いし、それなら俺たちは永遠に懐古厨の記憶豚としてかつての吉祥寺を惨めったらしく啄んではぴぃぴぃと泣くしかないのだ。
「そうじゃない、放火の件はもう裏が取れている。女の方だ」
おれは胸ぐらを掴まれてブラ下がる。
クリスマスまでに食べきる事が出来なかったので彼女の首から上はまだ残っているはずだ。
まだ元気にしているだろうか。
煙草を吸いたがっているかもしれない、早くショートホープを買って帰らなきゃ。
「だからやめろと言っているだろ」
掴まれた胸ぐらを揺さぶられる。
あぁ、そうだった。
でもそれは別におれが望んだことじゃない。
あの女が望んだ永遠なんだ。
永遠、永遠なのかは知らないが血となり骨となり肉となる。
おれの細胞が入れ替わる間ずっと彼女だけを食べていればおれの細胞は彼女の細胞と入れ替わる。
つまり彼女はおれとなって生きる。
そういう意味で彼女はおれが死ぬまでの間に永遠となり、おれの意識に埋没した彼女に対して細胞は悪夢と言うプログラムを何度も再生させられることになる。
おれの胸ぐらを掴んでいた手が開く。
「なんだ、そういう事なら早く言えよ」
おれは外に出ると天を仰いだ。
月が眩しい。
群青色の空に浮かんだ細い三日月はまるで背中についた傷跡の様でした。
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