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Re: 【短編小説】ありがとう

 ディズニーシー?
 違う、今から行くのは血の海。数時間後にはきっと赤い電飾が綺麗。
 いいの、それで。
 わたし、その赤い電飾のパレードに乗るんだわ。
 そこで夢は終わり。
 もう構わないの。わたしのハスクバーナだってもう要らない。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 寝汗と愛液、そして背徳感で重たくなったシーツから背中を引き剥がしてフローリングの床に立つと、マダオの足裏に厭なザラつきが伝わった。
「掃除くらいしろよな」
 汗が滑り落ちるケツを掻くと爪に疲労が溜まった。
 自分も大概だな、と欠伸を噛み殺すがどうにもとめどない。

 ドン・キホーテみたいな匂いがするボディーソープで夜中のそれを洗い流したマラオが更衣室を出ると、玉津 雉子が換気扇の下で細長い煙草を吸っていた。
「あぁすまん、起こしちゃったか」
 薄いシャツを羽織った雉子の突起が透けて見える。
「うん」
 がおんがおんと大きな音を立てて雉子の吐いた煙を飲み込む換気扇が、マダオにはなぜか頼もしく感じられた。
「寝てていいよ」
 当たり前の様にそう言った瞬間、雉子は切長の目を見開いてマダオを睨むと、ウルフカットの髪を左手で弄びながら
「寝てていいよ、と言うか寝てて欲しいんでしょう?」と言った。
 意表をつかれたマダオは固まって
「は?」と反応するのが精一杯だった。

 雉子は皮肉っぽい笑みを浮かべながら
「こんな時間にどこに行くって言うの」
 そう言うとマダオに向かって煙を細長く吐き出した。換気扇から外された煙は、すこし遊ぶように回ってから天井にのぼって消えた。
「あ、いや」
 言葉に詰まった瞬間、しまったと感じたが既に遅かった。
 何だっていい、明日の朝までに出さなきゃならない報告書とかなんとか色々あっただろうに、どうして咄嗟に言えなかったのか。
 マダオは喉が締まるのを感じながら
「ちょっと思い出してさ」
 と言ったが、声は殆ど掠れていた。

 それを聞いた雉子が笑う。
「思い出したって、何を?」
「いや、その、ほら。アレだよ、報告書。そう報告書だ。出さなきゃならない業務報告書があってさ、すっかり忘れてたんだよ」
 我ながら嘘が下手だ。
 しかし始めた嘘は貫徹しなきゃならない。マダオは腹を決めた。
 雉子は見透かすような目でマダオを見ている。
「ふーん、明日って土曜日だけど」
「いや、そうなんだけど末日に出さなきゃならなくてさ、ウチの会社」


「へぇ」
 雉子はマダオから視線を切ると、自分の毛を見て枝毛を抜いたり、毛先の死んだものを抜いたりし始めた。
「嘘だよね」
 雉子は細長い煙草を一気に根本まで吸い込むと、煙幕のように白いものを吐き出した。
 煙を吸い込んだマダオは、咽せたら負けだと思った。
「あり得ないでしょ、そんな業務報告書だかの為にこの時間に帰るなんて」
 白い煙のあまりを吐き出しながら雉子が笑った。
「誰とどこに行くの」

 うるせぇ、と一喝して殴るか蹴り飛ばすかするべきなのをマダオ理解している。
 またはより大声で威圧して相手に話す暇を与えずに喋り続け根負けさせるべきだ。
 しかし体は動かない。言葉は続かない。
 マダオにはそれが出来なかった。

 雉子が大きな胸の谷間からマダオのスマホを取り出した。
「コレ」
「あ」
 まただ。
 何してんだよ、と詰って責めて全ての落ち度を回避するチャンスを逸した。
 マダオには才能が無い。
 やめるべきだ。
 そもそも雉子に手を出すべきじゃなかった。
 そう思いながら、雉子の首を伝って谷間に流れ落ちる汗から視線を切る事ができなかった。

「電話して」
 そう言った雉子から電話を受け取ると、マダオはノロノロとした動作で織園 たる子に電話をかけた
「うん、ごめん。だから今日、ディズニーには行けない」
 そう言って電話を切ると、雉子は満足そうに微笑んで「じゃあ、安心して眠れるね」と言った。 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 小さいバイクには荷台も何も無く、肩から下げたハスクバーナが食い込んだ。
 キーを差して、キックを踏んだ瞬間にアクセルを捻ると一度で綺麗にエンジンがスタートした。
 雉子の心の中で小さなガッツポーズが出る。このハスクバーナも一回でかかると良いな。
 コルク帽を被ろうと思ったが、少し考え直して放り投げた。
 コンクリートの上をクルクルと回る帽が鈍い光を返している。
 雉子は自分の縦ロールを指で巻いて遊んだ。


 バイクは厭だな。エンジンオイルで髪がベタベタになる。
 でも、それも最後。
 アクセルを開いてからギアを下げる。クラッチレバーをそっと緩めると、車体はゆっくりと前に出た。
「しまったな、ロッキンホースは蹴りにくいんだった」
 コルク帽代わりのキャノティエを着けたから、雉子は少し強くなれた気がした。
 でもパニエは多過ぎたかも知れないと少し後悔した。

 真夜中の冷たい空気を押し退けて走るバイクに跨っていると心が落ち着く。
 GPSの位置を思い出しながらアスファルトと同じ色をした空の下を走る。
 スカートのフリルが風になびく。
 綺麗に巻いた縦ロールが風で乗り切っている。

 バイクを停めてから部屋の位置を確認する。
 ハスクバーナのワイヤーを引くと、バイクと同じ様な2サイクルのエンジンが唸った。
 私は最強だ。
 雉子はクツクツと震えるハスクバーナを手にしたままエレベーターに乗り、確認した部屋の前に立った。
 インターホンを鳴らす。
 チェーン越しに開けたドアの隙間から、チェーンソーを持った織延長 たる子が見えた。
「待ってたわ」
「ありがとう」
 それは本音だった。
 一度閉じたドアが開くと、玄関にはラバーソールが何足も転がっていた。
「もしかしたら、私たちは逆だったかもね」
「出会い方が違ったら、友だちだったかも」
 ハスクバーナとチェーンソーが大声で笑った。

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にじむラ
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