『疫病流行記』
第13回岸田理生アバンギャルドフェスティバル・リオフェス2019 吉野翼企画『疫病流行記』(作・寺山修司 岸田理生、構成 演出・吉野翼)を観た。
北千住BUoYは初めて訪れる劇場で、荒廃とした半ば廃墟の様なその構造には驚かされた。舞台の奥にある大きな浴槽と言い、剥き出しの床や壁といい、とても魅力的な空間であったのは間違いない。
アンダーグラウンド
もはや白塗りや血糊くらいではアングラと呼べない様な時代だよな、と言う感覚がある。あの奇書『ドグラ・マグラ』を読んだ程度では発狂することが無いように、社会情勢も消費者側も大きく変化した。
エログロナンセンスがアングラやサブカルの専売特許、代名詞みたいな時代でもなくなり、それらを端的に表す言葉と言うのをとっさには思いつけない。懐古の中にうずくまっているのだろうか。
もしかしたら「テレビには映らない」と言う程度の意味しかない話かも知れない。だとしたらアングラやサブカルを殺したのはインターネットじゃないだろうか?
20世紀の終わり頃に始まり、21世紀になった。いま、アングラをやると言うのはどう言う事なのか?地下にある劇場と言う意味以上に興味深いものだったと思う。
オワリノウタ
極めて記号的に、あえて重厚過ぎない様に扱った「疫病」と言うメッセージの芝居が陰影の強い照明で続けられる。
恐らく何度も上演されてきたその中身よりも、終わり方にかなり強い情熱を傾けたのでは無いか?と感じた。
これは2017年にアゴラ劇場で上演された【ー平成緊縛官能譚ー『血花血縄』】でも感じた事である。
その舞台に於いて、主人公である少女が客席の間にある花道を駆け上がり、出入り口のドアを開け放つ。劇場と言う子宮に妊娠された観客は新たな命として劇場を出ねばならない、そう感じる一幕があった。
芝居はそこで終わらずに、少女は男を見つけて劇場に戻ってくる。女になる為に。
今回も役者たちは芝居を終え、役を解き、日常へ帰っていく。劇場の扉を開き、外へ出て行く。
オワリノウタ2
問題はここからで、その理由を長台詞としてブチ撒けてしまう。それは帰らない客に対する不安の露呈か、苛立ちか、怒りか、とにかく何か分からないが彼岸と此岸、夢と現みたいな話をされる。
この観劇はセメントだ。そう、この剥き出しのハコの様に。だからこちらも必死こいてそれを読み取らねばならない。
あえて中身を稀釈した上で、扉を開き説明をする。これは観客に対する侮辱なのか挑発なのか、それとも演劇そのものの見方を説いているのかで迷う。
カーテンコールなんて要らない、拍手もいらない、ドアが開き、客電が点いたら、さぁ帰れ、社交辞令も何も要らない、オワリなのだと言う事だろうか。(欲しいんだろ、だからくれてやるよと言う傲慢さも併せ持っている?)
劇場に足を踏み入れた瞬間から、いや観劇そのものはいつから始まっているのか曖昧だ。小屋に向かう時か、家を出た時か、それとも起きた時か予約した時か。
だが終わりの瞬間は明白だ。
そう言う事を言いたいのでは無いか、アゴラ劇場でもそうであった様に繰り返し繰り返し、怠惰で強欲な客に対する怒りの表明なのでは無いか?立ち上がり、席を離れる客を待っているのではないか?夢から醒める客を誰よりも待っているのではないか?
しかしそうであるならば、この感想メモすらその思想に反するものだ。いい加減に夢から醒めねばならない。
オワレナイウタ
劇場の中と外、夢と現、彼岸と此岸、北の無い羅針盤を渡されてアテもなくウロウロとする無様な人間、それは観客なのでは無いか。
吉野翼がそれをやる意味、それをやる理由と言うのが「観客の教育」以外であるならば一体何だと言うのだろう?
別に個人的に吉野翼を知っている訳では無い、飲んだ事も無い、ロクに話した事も無いが、彼が無意味にあんな事をする筈がない、その理由を考えればそれ以外に思いつかない。
もしかしたら劇場の外で、観た夢について語る事すら無粋であるとしているのかも知れない。
それが客としての矜持だろ、と言う事をいいたいのでは無いだろうか。観客こそがビョーキであるのは間違いなく、またその病理に侵されたのは芝居そのものも同じだよねと言ってる気がする。
オワラナイウタ
しかし、だ。俺が愚鈍なのか客がよほど緩いなのか、どうもブチ切れて帰るには威力が足りない気がしてしまう。
内容のワザとらしい薄め方、あえて禍根や傷を残さないで演じさせた上でのラスト、それを考えると意味合いは限定されると思う。
限定させると思うけどイマイチ自信が持てない。吉野翼の狙いは全然違う可能性もある、大いにある。でも半分は俺の責任だが、もう半分は彼の責任だ。
役者たちの芝居は私たちの帰宅を促すものでは無い。つまりそこを意図して説明して無い、よって読み取ってしまった人間が帰るシステムなのでは無いかな?と言う緊張がある。
前述のアゴラ劇場での芝居でも同じで、何だったら荷物を持って帰ろうとしたら少女が男を連れて戻り、芝居は再開された。
盛大な勘違いかも知れないが、もし次に似た様な事があれば、勇気を持って席を立ち、劇場のドアをくぐって外に出たいと思う。