Re: 【短編小説】線路は続くよどこまでも
長い夢から醒めた瞬間に俺は自分が天才的な愚鈍であると気付いた。
実際に寝ていたのはたかだか数分だと言うのに、見ていた夢の長さたるやインターミッションを挟みそうな勢いの大長編だった。
だから俺はその夢がクライマックスを迎える前に席を立って劇場を出たんだ。
俺は頭蓋骨と言う子宮から出て、布や綿で作られた子宮から這い出し、コンクリートの子宮から転がり出てようやく胎内巡りが終わる。
終わる?
それはどうかな。
俺はまた別の子宮にいる。そいつを環世界と呼ぶか人生と呼ぶかは知らない。
とにかく再び眠るまで、遊歩道を歩く様な労働が始まる。案外それだって子宮そのものかも知れない。
全ての容れ物が子宮のメタファーだと言うのであれば、全ての入口は陰唇のメタファーと言う事になる。
俺は電気仕掛けの陰唇を前払いの電子決済(ツケの逆は何で言うんだ?)で通って電車に乗る。電車は子宮のメタファーでもあるし、地下に潜り込む陰茎のメタファーでもある。
つまり電車は菩薩って言う事になる。
だが幾ら電車を回したところで解脱できた試しはない。
俺は吊革にぶら下がる。
不安定な連結部の板に乗って遊んでいる小学生たちはカーブの度にアコーディオンカーテンの暗い隙間に飲み込まれていく。
誰も消えるガキに興味は無い。ニュースにもならない話だ。
それは俺たちもああやって飲み込まれてはどこかの割れ目から頭を出してきたからだ。
やはり電車は子宮なのか?
そう言う意味ではここが終着点なのかも知れない。High-LungBeeと書かれた深淵の中で十月十日をうずくまって過ごす。
俺たちは胎内から出たつもりになっているだけで、実のところは何も始まっていない。
何も始まっていない?
そいつは負け犬の戯言だ。すでに終わってるんだよ。受け入れろ。腐敗しながら坂道を転がり落ちて行け。
「そいつは共同通信の情報かい?」
始まったぞ、自己対話の時間だ!
「あぁその通りだ」
誰かに語らせるくらいなら自分で喋るさ!
「なら価値は無いな」
俺がこの手で終わらせてやる!
「あぁその通りだ」
記憶力をゴミ箱と呼ばれる記号に重ね合わせる。ガサガサと音を立てて何かが消えた。
俺は音を立てて消えていく記憶の残滓を指でなぞる。
あの乾いた音が何の音なのかは知らない。何かを忘れる時にはあんな音がするものなのだろうか。
「パピルスは知ってる?」
おいでませ自己対話。
「画像データを参照した事ならある」
飽き飽きしてるその先に何がある?
「何が書いてあったのか覚えてる?」
終わっている事に対する抵抗さ!
「恨みつらみとクレオパトラのアイコラ画像だったよ」
闘争領域に飛び出してこの方、俺は。
「俺も楊貴妃のパンチラ転写したやつを知ってる」
エア拳銃自殺を何度繰り返したか!
「ガラスに?」
生きることは苦しむ事だと考えている。
「そうかも知れない」
だから、もう二度と産まれてくる事のないように。
「黒ギャル女子高生だった小野妹子とか業界素人だった頃のヘレネも保存してある」
それでもまだ死ねないのは未練か?
「うp」
希望か?
「ガイシュツ」
環状線と言う老人ホームに揺られて俺たちは床に落ちていたもんじゃ焼きを飲みかけのまま捨て置かれたビールで一気に流し込む。
横長のシートでは東スポを読む男と夕刊フジを読む男がお互いの拳や新聞から火花を散らしながらスペースを確保する争いを繰り広げている。
電波を受信しながら演説を打つ男が飛ばした唾は学ランの中学生にパンツを見せているギャルの厚底サンダル付近へと落ちて黒いシミになった。
「えー、本日ワァー、ご利用頂きましてェェェ〜誠にィィ〜ありがとうゥゥゥ〜ございますゥルッッ。環状線特急外回りィィ、松陰神社前経由ゥゥゥンッ、六法沢橋行きでェンございます」
私服のインディーズ車掌がエアマイクでアナウンスすると丁度3秒後に天井のスピーカーから同じ内容が輪唱された。
俺は吊革を離れて木の板で張られた床を歩く。
天井の扇風機が回り重苦しい空気をかき混ぜる。
デジタルサイネージがブラウン管だった時代は確かに車内がオゾン臭かった。
俺は電車を降りる。
子宮から顔を出したと言う事になるのか?
アレは何の胎内だった?
鉄の子宮だとか暗黒物質の子宮だとか記憶の子宮だとか言いながらカップ酒を垂らす老人の唇に光る涎の泡に込められた文字を読み取れないまま俺は線路に降りる。
廃線の錆びたレールは俺を運ばない。
俺は俺の足で歩かなきゃならない。行く先が突堤だろうと六方沢橋だろうと行かなきゃならない。
既に始まっているからだ。
スタートは切っている。準備なんてする暇は無い。
俺は頭蓋骨を、ブランケットを、部屋を、街を、電車を、劇場を、環世界を出なきゃならない。
お前も早くインターネットを出て行けよ。