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言葉(情報)が生活実感を蝕んでいること。もしも世間話ができなくなったなら、おしまいなのに。

つくづく頭で考える人ばっかの時代になってしまいましたね。だって、朝から晩までネットに接続し、検索したりChatGPTさまに教えを請うたりしなくては、時代についてゆけません。毎分毎分新しい言葉や概念が現れるのですから。



インバウンドなんて言葉が登場して野球選手はなにごとかと目耳を驚かせたでしょう。コンプライアンスという言葉にてんぷら屋のご主人は何事かとぞわぞわしたでしょう。アイドルおたくは、「SDGsってどんなアイドルグループかよ!??」と好奇心をかきたてられたもしたでしょう。こうしてぼくらは毎日何百回も検索をして、あっというまに年をとってゆきます。 



しかもこの新語・新概念蔓延の話題の先には、近年白人による植民地主義という歴史的悪行を批判するあまり、人文科学全域の書き換えが急速になされていることにゆきつきもします。たとえばアメリカの歴史はこの「正義」の主張によって、もはやむちゃくちゃなことになっていて、先日のMrs.GREEEN APPLE
の新作クリップ『コロンブス』の炎上もその文脈にあります。ただし、ここでは歴史書き換え問題の話題には深入りしません。本題に戻りましょう。




ややこしい時代になったもの。これね、情報(言葉)が生活実感を蝕んでいるんですね。夜が明け方に変る、青く短い時間って美しいな、って感じるとき、金星を探したり地球の自転を考える必要はありません。また、散歩の途中で見つけたアジサイの花を綺麗だな、一輪がブーケみたい、っておもったとき、必ずしも土地の酸性/アルカリ性について考えたり、花屋の新作アジサイの遺伝子操作についておもいを馳せる必要はありません。風呂に入って気持ちがいいな、とほっこりくつろいだとき、血液循環、疲労回復、リラックス効果についてお勉強しなくたってかまわない。にもかかわらず、情報社会はどうも人をそういう方向に仕向けて、人を不幸にしてしまう。



ぼくたちが生きているこの世界は諸物自体の世界(パンケーキに喩えましょう)と諸概念の世界(もう一枚のパンケーキ)の二枚重ね構造になっています。なお、諸概念の世界は、諸物自体の世界を概念で再構成したもうひとつの世界です。しかし、どれだけ概念世界を精緻に構成しようと、けっして諸物の世界(リアル・ワールド)を理解し尽くすことは原理的に不可能です。しかし、にもかかわらず、概念世界を作り変えることによって、人間社会は抜本的に変わってしまう。その変化が必ずしも良い方向かどうかをいったい誰が一義的に決めることができるでしょう?



「あのさ、ドン・キホーテのバイトに赤毛のかわいい女の子が入ったんだよ♡」ってたとえばぼくが言ったとして、相手が「ふ~ん、たぶんおれもっとかわいい女の子知ってるわ」って返されたならば、誰だってムカつくでしょう。「知るか、そんなことッ!」もしも社会的評価のタグがつかなけければ「かわいい♡」も言えなくなるような世の中だとしたら、ディストピアとしか言いようがありません。え、ルッキズムですか? 知るか、そんな欺瞞的な概念! しかし、いま世界はディストピアに向けて確実に進んでいます。




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