『サド侯爵夫人』は、三島の瑤子夫人への敗北宣言だ。
1958年、三島由紀夫は33歳で、13歳年下で20歳のお嬢さん・瑤子さんと見合い結婚した。なぜ三島はきわめてゲイ寄りのバイでありながら、結婚しただろう? 一般的に説明されるのは、この時期、母の倭文重さんが癌だったゆえ、彼女をよろこばせるために結婚した、と説明されます。倭文重さん自身もそのように理解しておられます。なお、彼女の癌は誤診だったことがわかるのですが。
しかしながらぼくはおもう、三島は家庭を持つことで世間体を保ちながら、他方でおもう存分ゲイ・ライフを楽しみたいという無邪気な構想があったのではないかしらん。
三島と瑤子さんは一女一男のコドモをさずかりもした。三島は愛妻家を演じ、マイ・ホーム・パパであるこを世間にアピールもした。秘密のゲイ・ライフを楽しみもしたでしょう。しかし、事がそうそう三島の思惑通りに都合よく運ぶわけがない。
また、三島はあらゆる小説を発表まえに、母・倭文重に読んでもらい感想を求める習慣を持っています。三島の豪邸の脇の日本家屋に住んでいた両親に、毎晩三島はおやすみの挨拶に行く。このような三島の姿を、妻・瑤子さんがこころよくおもうはずがない。じっさい三島家の嫁/姑問題は激烈を極め、しかも瑤子さんは三島のゲイ・ライフに勘づき、やむなく三島は「潔癖」を証明するために妻の瑤子さんに自分に届く書簡のすべてを三島に先だって開封し読む権限を与える。
こうして三島は、母と妻のあいだに挟まれて困り果て悩み呻吟し、しかも愛妻家、マイホーム・パパを演じつつも、ひそかに大事なゲイ・ライフを愉しむという三島の戦略は破綻してしまう。そんな三島の焦りと焦燥のなかで生まれたのが戯曲『サド侯爵夫人』(1965)である。
この戯曲はマルキ・ド・サド不在の舞台で、妻ルネ、ルネの母モントルイユ夫人を中心に、ルネの妹アンヌ、その他3人の女たちが、サドについての感想ー評価を述べ、不在のサドが立体的に浮かび上がってくる作品です。三幕構成で、まず第一幕サドはルネと結婚した1963年のその9年後1972年を幕開けに主題が提示されます。(なにしろサドはルネと結婚した4カ月後に、扇動の罪で死刑を宣告されています。)2幕めがその6年後1978年、3幕目がその12年後、1790年(フランス革命勃発後9カ月目)が描かれる。
サドを描くならば、殺人、男色、強姦、近親相姦、強盗・・・心の奥深い闇のなかから沸き立ってくるさまざまな悪の衝動、そしてその背筋がぞくぞくするような昏いよろこびを書くのが当然だろう。ところがこの戯曲はそうではない。そもそも作中にサド自身はほぼ不在であり、あろうことかサドと関係した女たちがただひたすらおのれのサド観について語ってやまないのである。なお、この戯曲の読みどころは、サドの妻ルネのサド理解の深さであり、サドへの無限の共感である。(なお、この設定はサドとルネの歴史的事実から逸脱した完全な三島の創造である。)他方、ルネの母モントルイユ夫人は平凡で世俗的な人物であり、彼女にとってサドは、誇り高き家柄を汚辱まみれにした許し難い恥の象徴である。ふたりの正反対なサド観が、それぞれの優雅で詩的なせりふで葛藤を持続させながら、ドラマは進んでゆく。
そもそもサドはキリスト教神学を徹底的に愚弄する男である。なにせキリスト教は万人に原罪を背負わせ、死んだら最後の審判があるぞ、と脅かす。サドはこれを嘲笑する、原罪? 最期の審判? ちゃんちゃらおかしい! あるか、そんなもん! サドはイエスとマリアを猥褻な言葉でののしる男。むしろ、欲望追求のすえ、精神病院や牢屋に入れられようとも?)
じっさいサドはたわむれに女たちを調達しては、裸にして尻を鞭打ったり、逆に女に自分を鞭打たせたり、はたまた女たちに媚薬入りのボンボンショコラを食べさせたり、挙句の果てに食べると屁が出て止まらなくなるボンボンショコラを女たちに食べさせてよろこんだ。正真正銘のド変態である。
サドにおいてはマゾヒストを悦楽に導きたいなんていう殊勝な心は微塵もない。鞭もまたホンモノである。サドのプレイは正真正銘の暴力であり、その暴力は反キリスト教思想と結びついている。ただし、サドの書いた作品群はただの残虐なポルノグラフィーであるのみならず、むしろ人間性の本質には〈悪〉が存在しており、ならばなぜ国家が行使する暴力だけが公然と許され、他方、個人が趣味として成す暴力は裁かれなくてはならないのか、という国家論(制度批判)として読むことができる。ここがサド読解のポイントである。
次に、このド変態趣味によってサドは精神病院に入れられもすれば、バスティーユの監獄に入れられもする。妻のルネはアルフォンス(サド)に贅沢な食事を届けたり、アルフォンスが欲しがるものはなんでも調達し、かれに尽くした。ところが、である。エンディングの場面で、モントルイユ夫人が伝えるところの、釈放され館に現れたサドの風体は、(かつて美しかった金髪と気品ある顔立ちはどこへやら)醜く太り、黒い羅紗の上着は肘のあたりに継ぎが当てられ、まるで物乞いの老人さながらであった。ルネはけっしてサドに会おうとせず、(戯曲には明示されていないものの)修道院へ入ってしまうのである。ここにこのドラマ『サド侯爵夫人』の読みどころがある。なお、橋本治さんは名著『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮社刊 2002年)のなかで、この作品に三島の母からの決別宣言を見ておられます。これはこれで目の醒めるような卓見ではある。しかし、ぼくはおもう、この作品はむしろ三島の瑤子さんへの敗北宣言ではないだろうか。
この作品の後、三島は5年間人生を燃焼し、そして例の憂国的大事件を起こして自らの命を断った。おじさんたちはこの事件を三島が国体の存亡を賭けての命懸けのパフォーマンスだったと解釈する。なるほど、それはそれで筋のとおった理解ではあるにせよ、しかし、個人としての三島はもはや当初の〈家族を愛する仮面をかぶった男色者〉という人生戦略も完全に破綻してしまって、にっちもさっちもゆかなくなってのあの事件だったという見方も成り立つ。なお、ぼくのこの見方は、鈴村和成著『三島 SM 谷崎』彩流社刊 2016年)の影響下にある。なお、この本は良書ながら、ただし前述の橋本治の著書およびジョン・ネイソン著 野口武彦訳『新版 三島由紀夫-ある評伝』(新潮社刊 2008年)と併読すればなおいっそうバランスの良い三島理解が得られるでしょう。だが、それらの名著をもってしても、三島由紀夫という謎が完全に解き明かされることはない。
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