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小市民悪魔主義者、自称早稲田大学准教授の生活と意見。(6・完)

その後かれはぼくとの関係を断った。それからしばらくのあいだかれはぼくをネットでしつこく誹謗中傷するようになった。あまりにもそれがひどいので、ぼくもまたネットで応戦した。ここでもまた泥仕合なのだ。けれど、そんな関係にもおたがいやがて飽きて、いつのまにか出会ってから十年が経っていた。さいわいいまぼくはかれとはリアルでもネットでもまったく交流がない。それでもネット社会ゆえその後の「准教授」の動向はぼくの目耳に入ってくる。かれの境遇と生活はあの頃のまま。ただし、かれの贔屓の店は少し入れ替わり、新たに八重洲の「三階」と大崎広小路の「GU3F 炭火焼きホルモンぐう」そして人形町の「焼肉赤身にくがとう」が加わり、「にくがとう」の会員制個室を使う資格を与えられたことをかれはたいそうよろこんでいる。最近かれはClubhouseに進出して(かれの正体を知らない)新たなグルメ仲間を増やすことに熱心である。いまだに同じことを繰り返しているわけだ。




人生ってなんだろう? もしも機械伯爵を倒し母の仇を討った後の鉄郎ならばこう答えるだろう、〈命は限りがあるからこそ意味がある、その限られた時間をどう使うかで、人間の価値が決る。〉しかし「准教授」の場合はかれの幼稚なミルトン理解が真理の声をかき消すだろう。


もっとも、かれとてみずから望んで悪魔の下っぱの弟子になったわけではなく。そこにはおそらく人の意志とは別の(脳と腸を中心とした)身体条件が絡んでいるだろう。かれは傍迷惑でめんどくさい人であるのみならず、かれ自身がたいへんな受難の人なのだ。かれはちょっとプライドを傷つけられただけで相手を傷つける困った中年男である。ただし、そもそもかれの毎日が傷心であって。違いは、他人はかれ自身に原因を見るが、かれは原因を他人に見るだけのことだ。いずれにせよ、どれほどかれは生きにくいことだろう。想像に余りある。ただし、たとえぼくらがかれの事情を推理はできたとしても、しかしぼくらはかれにどうしてあげることもできない。



そもそもきっとかれは反論するでしょう、「黙れ、この偽善者ッ。スージーさんはいつも自己の無謬性を疑わず独善的で、自分が好きな特定の人たち以外へのおもいやりに欠けるんですよ。



なるほど、かれがそうおもうのも無理はない。なぜならかれにとっては嫉妬と怨恨こそが正直者の証なのだから。もっとも、ぼくは心の壊れたかれにあまりにも関心を寄せすぎるのかもしれない。それはぼくの(いくらか歪んだ?)芸術趣味の弊害かもしれない。いずれにせよ、ぼくにとっては「准教授」へのぼくの自称おもいやりはこれがいっぱいいっぱいのマックスだ。たとえ「准教授」がそれをぼくからのおもいやりとして受け取らないだろうにしても。


ぼくははじめてかれに会ったときのことをおもいだす。あのときぼくは言ったものだ、「ぼくにとって英文学は青春のおもいでですよ。春がくるたびぼくはおもいだす、April is the cruelest month まったく残酷なことだ、廃墟となり果てた世界にまた春がおとずれる、その虚無感・・・。」
いまにしておもえば、ぼくとかれはSNSでばったり出会い、おたがい相手への好奇心を発揚させ、ちょっぴり楽しみ、しかしやがておたがいを傷つけ合って後味悪く別れただけだ。それでも、かれの意識とはかかわりなく、かれはぼくになにかを考えるきっかけを与えてくれた。



ぼくは大学アカデミズムの無責任を責めずにはいられない。大学はあきらかに能力のないかれから授業料だけ巻き上げて、しかしかれに充分な専門的知識も与えず、考える方法も教えずに、あろうことかかれを単位を与え、おおむね知性だけが高い俗物ばかりの殺伐とした大学アカデミズム業界に放り出した。しかも、大学業界は教員になってからのかれを鼻であしらい笑いものにして徹底的に下僕として扱い、かれの心を徹底的に破壊した。そんなかれが偽名を使って「准教授」を演じ、幼稚にグルメのまねをして、性交相手を調達し、破壊されたプライドを再建しようとする気持ちもよくわかる。もちろんかれの腐った根性は悪い。しかしもっと悪いのは大学アカデミズムの無責任と俗物根性ではないか。


もっともぼくが書いてきたことはあくまでもぼくが知り得た事実のつらなりと、それに対するひとつの解釈であって。かれには他にもさまざまな事実があり、いくつもの仮説があり得るでしょう。いずれにせよ、人は誰も多かれ少なかれ奇妙なもの、けっしてかれだけがおかしいわけではない。しかもかれは実際につきあうには究極の迷惑男だけれど、しかし遠くから見ているぶんにはとても人間くさく、コメディ映画のようなおもしろさがある。ぼくはおもう、かれは芸人を目指して吉本興行にでも入れば良かったのに。もしかするとかれは大空テントさん、ミスター・オクレさん、ジミー大西さん、そして野見隆明さんらの系譜に属する味わい深い芸人になれたかもしれないのに。


野見隆明さん



けれども、ぼくがそう言うときっと「准教授」は怒るだろう、なぜならば大学アカデミズムに徹底的に心を破壊されたかれは、なんとしてでもみんなから尊敬されたいのだ。ぼくはおもう、そんなこと不可能に決まってるじゃないか。かれには他人が尊敬可能な要素がどこにもない。しかし、みんなから好かれることならばできる、心を入れ替えさえすれば。



一般に人はさまざまな対象に愛を注ぐ。しかしかれはほとんどの対象には目もくれず、あらいざらいの愛をもっぱら焼肉に注ぐ。(厳密にはかれの愛は珍獣肉と『銀河鉄道999』と駅弁と新幹線にも注がれる。)かれの魂の叫びが聞こえてくる。「わたしは神を信じない。神は欺瞞に満ち不公平で差別的だ。そんな神など誰が信じるものか。そして大学アカデミズムの俗物ども、糞喰らえ。わたしを軽蔑する妻がなんだ。わたしをバカにする息子がなんだ。胸の前で手をひらひらさせて巻き舌英語をひけらかす欧米かぶれの帰国子女ども恥を知れ。わたしをバカにするすべての愚民どもに不幸よふりかかれ。もちろんスージー、こざかしい猿知識をひけらかしわたしを愚弄するおまえもだ。死ね死ね死ね死ね死んでしまえ。焼肉のすばらしさを理解できないのは愚民どもだけ。もちろんおまえらはろくでもない等級の屑肉をエバラ焼肉のタレで味をごまかして喰ってるからだよ。一食1万円越えの焼肉を一度でも喰ってみろ。感動に打ち震えるだろうに。かわいそうな連中だ、惨めでひたすら哀れですよ。焼肉のおいしさも知らないなんて。この汚辱に満ちた差別的な世界で焼肉ほどに慈悲深く魅惑にあふれ無限の幸福を与えてくれるものなどなにひとつないではないか。わたしは焼肉を愛する。ハラミ、コブクロ、ミノ、ハツ、ホルモン、マキ、肩三角、かいのみ、ブリスケ、ざぶとん、 ロースにカルビ、はたまたひよこのロースト、ヤモリのから揚げ、トド刺、鳩刺、牛の睾丸の網焼き。わが愛、焼肉。モナムール、焼肉♡ わたしは世界の中心で焼肉愛を叫びたい。」なるほど、これもまたひとつの生き方だとはぼくもおもう。人はみななにかを愛することなしに生きてはゆけない。愛の対象が焼肉であってどこが悪い。もちろんまったく悪くない。ある意味、「准教授」もまた愛を生きるしあわせ者の一員なのだ。




小市民悪魔主義者、自称早稲田大学准教授の生活と意見。完

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