えりすぐり三島由紀夫参考文献。
ぼくが入念な探査の結果探り当てた、三島解読に大事で重要な資料をえりすぐりでご紹介します。
■安藤武『三島由紀夫「日録」』未知谷1996年刊(三島の行動を日誌的に時系列で並べた労作です。三島読者は作品とつき合わせて参照することによって、作品理解を深めることができます。横尾忠則によるカヴァー・イラストもかっこいい。)ただし、当然のことながらいくらなんでも三島の生涯の毎日をすべて日録することは不可能です。本書には、三島が3年間貞子さんとつきあっていたことは記録されていません。
■ジョン・ネイスン著 野口武彦訳『新版・三島由紀夫ーある評伝』新潮社 2000年刊
著者はハーヴァード卒の日本語堪能な(しかも、べらんめえな江戸っ子弁をしゃべりさえする)日本文学研究者で『午後の曳航』の英訳を通じて三島としたししく交流した人。本書は三島の脱神秘化を主題に、三島の人生を網羅的な関係者取材で追いかけまとめあげたもの。とうぜんのことながら三島のゲイライフもあかしてあります。本書はすべての三島愛読者および研究者にとって三島を論じる基本的枠組を作り出した記念碑的名著です。
なお、この本は1976年刊の旧版があって、旧版は瑤子さんによって三島の同性愛描写に販売差し止めが求められました。しかし、時を経て三島の同性愛描写にもいくらか規制緩和がなされ、新版は旧版の本文はそのままに著者による前書きと後書きを添えたもの。
■平岡梓『倅・三島由紀夫』『倅・三島由紀夫(没後)』文藝春秋(1972年刊/1974年刊)
突然知らされた自決、失意のなかでの葬儀の手配、そして三島裁判の渦中のなかで三島の父親が破れかぶれな文体で書いた生々しい本です。なお、奥様の倭文重さんの言葉も多く掲載され、事実上の共著になっています。三島の祖父母と同様、三島の両親もまた喧嘩ばかりしていたことも伺えます。しかも父・梓は大の文学嫌いで、文学一途の公威くん(=三島の本名)をいくらか冗談交じりにせよ「亡国の民」と罵倒し、公威くんが執筆中の原稿を破り捨てたりします。梓は日本文学史に残る毒親です。しかし、愛を持って本書を読めば、かれが三島の自決後、いかにマスコミにもみくちゃにされ、関係者たちの勝手な放言に傷つき、怒りを感じたのか、同情を禁じられません。そしていつしか読者は平岡梓にあろうことか奇妙なしたしみを感じるようになるでしょう。孤独でいささかとんちんかんではあるものの、自嘲混じりの冗談を絶やさず、自分勝手ではあるものの、軽妙で正直で人間臭い人柄、官僚としてたいした仕事もできず、そして気の毒にもおもいがけず文学史に脇役として登場させられた、時代遅れな明治の男の素顔に。
■橋本治著『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』新潮社2002年刊。
著者はゲイであることを公然とあきらかにしている小説家であり批評家です。戦後民主主義の申し子のような人で、読者に対してたいへん面倒見がいい。著者は、三島を「高い塔のなかに閉じ込められていて、助けて欲しいと願いながらも、同時に助けて欲しくない。高い塔に幽閉され続けていたい。それどころかせっかく三島を助けに来てくれた人が三島を助けることに失敗すると、ほら見ろ、と満足する」そんな矛盾した気持ちを持っていると見なします。高い塔とは三島の不幸な育ち、すなわち祖母、ひいては母によって自分が支配されている家であり、後年は三島に威張る特権を与えちやほやしてくれる文壇のことである。
次に、著者は『仮面の告白』が私小説の形を借りてはいるものの、しかし事実で構成された虚構であると見なします。なぜなら、三島はこの自伝的小説のなかで平岡公威が詩や小説を書いていたという事実を抹消し、文学者・三島と平岡公威を分離させた。すなわち三島は〈虚構のなかで生きてゆく芸術家・三島由紀夫〉だけが自分自身であると設定した。すなわち仮面の下にはなにもないのである。こんな設定をして、仮面たる三島由紀夫が幸福に生きてゆけるはずがない。しかも三島は愛する対象から自分が愛されることを切望しながら、しかし三島は愛情を怖れ、結局相手からの愛を拒絶し、自分が愛する対象を小説のなかでいわば「殺して」しまう。この矛盾に満ちた奇怪な心の働きは、その後の三島作品にえんえん続いてゆきます。著者はこれこそが三島ならではのわかりにくさの源泉と考えながらも、同時に〈男〉一般の孤独なあり方に通じていると考えます。
ただし、著者は三島をもっぱらゲイであると見なしていて、なぜか後述の岩下尚史著 『ヒタメンー三島由紀夫が女に逢う時』有山閣 2011年刊を読み逃していて、したがって、この本があきらかにした三島の性的嗜好がゲイ-ヘテロ‐バイと揺れ動いていた事実を橋本さんはご存じありません。とうぜん橋本さんによる三島理解の前提は部分的に否定されはします。しかしながら、だからと言ってけっしてそれによって橋本さんの三島解読が崩壊することは一切ありません。それどころか橋本さんの読みは大筋正しく、余人の三島解読を寄せつけません。そのくらい凄い、三島理解において再読三読すべき名著です。
■野口武彦『三島由紀夫の世界』講談社 1968年刊
本書は戦後民主主義に育てられた著者による三島の生前最後の時期に書かれた批評で、その考察はーー。戦中育ちの三島のドイツロマン派由来のロマンティシズムとイロニーがどう関係しているのか。三島に根深い死への欲動。戦時下に隆盛した日本浪漫派に庇護された三島。他方、敗戦後GHQによって国体を棄損され、あろうことか天皇陛下が人間宣言をおこない、日本国民が経済繁栄にいそしんでいった、そんな戦後日本を空虚として呪詛した三島。やがてその呪詛が三島の少年時代に胚胎した日本浪漫派由来の愛国心と結びつき、楯の会結成、本書はこの流れを明快につかみだしています。そして本書刊行時にはよもや三島が自決に至るとは誰もおもわない時代だったにも関わらず、しかし、本書はその可能性さえも不吉に予感させます。なお、本書はドイツロマン派の理念とイロニーの関係を理解することにも役立ちます。また本書に一貫して流れるワーグナーもまた卓抜に効果的であり、かつまた三島理解に示唆的です。
本書は、もしも三島を肯定すれば戦後民主主義育ちの著者が否定される、逆に自分を肯定すれば三島を否定することになる、そんな危うい均衡を保ちながら、三島の全面的肯定にもまったき否定にも傾かない、戦後民主主義育ちの著者ならではの絶妙の三島由紀夫像をあざやかに浮かびあがらせています。
著者は早稲田大学文学部時代に全国学生自治会連絡会議のリーダーでした。その後著者は東京大文学部~大学院に進み、神戸大学名誉教授、ハーバードやプリンストンの客員教授を務めた研究者です。
■福島次郎『剣と寒紅』文藝春秋 1998年刊
いちおう小説の体裁を取っていますが、若き日に平岡家の書生だった男色者の著者が、三島との同性愛の経験を生々しく綴ったもの。また三島没後、とりわけ倭文重さんの最期の日々への哀切が深い。なお、著者によるとタイトルの「寒紅」とは三島の母・倭文重さんのこと。ただし、本書は三島の同性愛描写によって、三島の一族、著作権管理者によって発売禁止となりました。
■岩下尚史著 『ヒタメンー三島由紀夫が女に逢う時』有山閣 2011年刊 その後、文春文庫に入ったものの、現在絶版。
この本『ヒタメン』(仮面をつけていない素顔の意味ですね、能の用語らしい)は、従来の三島論のすべてに再考を促す画期的かつ衝撃的な本です。なぜなら、従来の三島論は(村松剛さんをわずかの例外に)ほぼ全員が『仮面の告白』~『禁色』を根拠にして、三島が男色者であることを暗黙の前提にしていたもの。じっさい三島が男色者であったことの証言も多い。ところが本書によってあきらかにされた新事実によると、1955年7月29歳の三島が歌舞伎座の楽屋で出会って以降三年間にわたって、三島はひとりの若い女性に夢中になって、性愛経験を持っていた。
その人の名は豊田貞子さん。貞子さんは慶應女子校一期生で、三島と出会ったとき19歳。赤坂の料亭・若林のお嬢さんで、歌右衛門の17歳年下の妹である。三島は出会ったときから貞子さんにぞっこん夢中になって、貞子さんを彼女のむかしからの愛称「だこ」よ呼ぶようになって。逢瀬は帝国ホテルのグリルバー、銀座のドイツ料理屋ケルテス、洋食の小川軒、れんが屋、新橋の鳥料理屋・末げん、和食の吉兆、灘萬など、そしてふたりはめでたく男女の仲になる。この時期三島はしあわせの絶好調、書けて書けて仕方ない。『沈める滝』、『女神』、『幸福号出帆』、『永すぎた春』、『美徳のよろめき』、『金閣寺』、『施餓鬼舟』、『橋づくし』、『女方』、『鹿鳴館』・・・。貞子さんは三島と過ごした日々をこう追想しておられます、「あのくらい純粋で、良い人はなかった。三年のあいだわたしは公威さんのやさしさにつつまれて、毎日ほど会っていながら、ただの一度だって可厭な、不愉快な思いをすることはなかったのだもの……」しかし、ふたりの幸福な恋愛はなぜか終わってしまう。
すなわち、三島は時期によって自身の性的嗜好を変えていたことがわかる。じっさい他方で三島は1952年以降、58年まで歌舞伎役者で希代の女方・中村歌右衛門にぞっこんで、歌右衛門のために5本の歌舞伎作品を書いていること。『地獄変』、『鰯売恋曳網』、『熊野』、『芙蓉露大内実記』。このほか新派のために書いた『朝の躑躅』も歌右衛門のために特に書き下ろしたものだった。
しかしながら、同時に三島は貞子さんにぞっこん夢中な3年間を過ごし、貞子さんとの恋愛が終わって、三島は1958年6月1日、日本画家のお嬢さん杉山瑤子さんと見合い結婚しています。
なお、著者の岩下尚史さんは歌舞伎にくわしいのみならず、他に『芸者論: 神々に扮することを忘れた日本人』雄山閣 2006年刊もあります。
■猪瀬直樹著『ペルソナー三島由紀夫伝』文藝春秋 1995年刊。
三島の出生から自決までの生涯を描いた数多の評伝のなかの一著。ただし、本書には〈政治と三島作品〉という構図がある。4章構成のなか第1章をまるまるついやして三島の祖父、父、三島自身の3代を、官僚の落伍者の系譜として考察しているところが特徴的です。とくに祖父・定太郎が原敬内閣時代に官僚として登り詰めながらも、失脚していった悲劇。また、祖母のなつの出自もていねいな取材で緻密に洗い出してあります。
2章と3章では、三島由紀夫の成長に沿って評伝が語られてゆきますが、ただし、すでにジョン・ネイスンを頂点とする三島評伝を読み慣れた読者にはさして驚きはありません。しかし第4章では、三島の右傾化、楯の会、自決の流れが具体的に、かつまた三島作品の推移と並行して語られます。しかもそこには当時の、学生運動が革命を目指すならば、楯の会が反革命を貫く。その構図が生々しく描かれています。
なお、著者はいかにも石原慎太郎都知事時代に副知事を務めた人らしく、三島に〈官僚の血〉が流れていることに着目し、三島作品を戦後政治と突き合わせて論じてゆきます。この視点によって本書には類書とは違う個性が生れています。もっとも、本書はおじさんが書いたおじさん向けの三島評伝であるゆえ、女の読者にはウケないだろうし、またとくにぼくの好みというわけでもないけれど、しかし、1章と4章には〈政治と三島文学〉を主題とした見事な考察と立派な資料的価値があります。
■井上隆史『暴流の人 三島由紀夫』平凡社 2020年刊
三島の作品と人生を〈空虚〉と〈セバスチャンコンプレックス〉をキーワードに、ありとあらゆる三島資料を網羅的に読み込んで、考察がなされています。なお、ぼく自身は『仮面の告白』における三島の主張を三島自身を解読するための基礎資料として使うことに疑問がありますが、しかしながらこの本はそれを別とすれば、最新資料までくまなく読み込んだ第一級の必読文献になっています。著者は白百合女子大学文学部教授で、かつまた『決定版三島由紀夫全集第42巻』(新潮社刊)の年譜・書誌の共著者です。その他の著作は『三島由紀夫 幻の遺作を読む』(光文社新書)、『三島由紀夫『豊饒の海』VS野間宏『青年の環』』(新典社選書)、『三島由紀夫の愛した美術』(共著・新潮社刊)など。、
■三好行雄編『別冊國文學 三島由紀夫必携 No19』學燈𡉹 1983年刊
三島の全作品の概略が紹介された一冊。なお、この系統の本は他にもいくつもありますが、どれか一冊持っておけば、それで十分でしょう。雑誌『國文學』は日本文学研究業界が熱かった時代の、日本文学研究者必読の雑誌でした。三島作品の全貌がわかると同時に、国文学研究業界における三島研究の水準の高さがわかります。
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