形態と動線。ー果たして安藤忠雄さんは、渋谷駅各種利用者たちの動線をどこまで計算しただろうか?
たまに渋谷駅を利用すると、よくもこれだけ利用者をカオスに突き落とす空間ができあがったもの、と呆れてしまう。ターミナル駅の建築は空港や病院のようにおのおのの利用者がそれぞれすっきり整然と流れて欲しいもの。ところが渋谷駅はまったくもってそうではない、とくに土日祝日は人があふれかえって大混乱である。毎日40万人越えだった利用者も、3万人減ったそうな。なにせ渋谷駅は、JR各線、東急東横線、京王井の頭線、東京メトロ銀座線、東京メトロ半蔵門線と東急田園都市線、東京メトロ副都心線、これだけの利用者たちが移動する空間なのである。これだけ大量の人たちをすっきり整然と捌くことは並大抵のことではないでしょう。誰が設計したところで不満の声があがったことではあるでしょう。しかし、それにしても、である。
なるほど、安藤忠雄さんの手がけた渋谷駅には部分的にかっこいいところもある。地下空間、中央部の三層にわたる吹き抜け、宇宙船と呼ばれもする卵型のシェル、なるほどSF的なイメージは魅惑的ではある。しかしながら、前述の現実をおもえばそんな美質も吹っ飛んでしまう。
なるほど、安藤さんは小規模でシンプルな建築を美しく作ることは巧い。住吉の長屋、光の教会、水の教会、風の教会、そしてユニクロの企画の一環である神宮通りのデザイナーズ・トイレットのような。しかし、多様な目的を持った大量の利用者が混在する空間を、それぞれすっきり捌くことは苦手なのだ。その弱点はすでに表参道ヒルズに現れています。逆に言えば、安藤さんはご自分の得意分野の仕事を選ぶべきなのだ。建築家のなかには、安藤さんを東大教授に招いたことがそもそもの間違いだったのではないか、という批判の声もある。なお、ぼくは個人的には、もしも安藤さんが芸大に招聘されていたならば適任だったろうに、とはおもう。
形態/動線。(Form/Flow)ー両者にはまったく別の論理がある。どちらを優先させるかによって、まったく違った建築が生まれてくる。したがって、両者をほど良く共存させることはかんたんではない。小規模建築ならばさして問題にならないにせよ、しかしターミナル駅や空港になると大きな問題に発展してしまう。たとえば、大阪万博には山のような批判が寄せられていて、そのひとつはこの問題とリンクしています。いま日本社会はあからさまに劣化しています。
これを身近でシンプルな話題に移せば、肉体労働者の衣服は動きやすさと丈夫さが最優先されるもの、それがあってはじめてかっこよさが問われる。すなわちパリコレとは別の論理で服作りがなされています。形態/機能。もの作りにおいて、大事な問いがここにある。