愛妻家でマイホームパパを演じる三島の、家庭内の地獄。
この人は天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの。(三島由紀夫『詩を書く少年』)
三島由紀夫の『鏡子の家』(1959)は不思議な小説だ。世に〈恋愛小説〉というジャンルがあるけれど、それに対してこの作品は〈恋愛しない小説〉なのだ。登場人物の誰もが自分の天分と追い求めるものにしたがって、童貞の絵描きは絵に、ボクサーはボクシングに、役者は演技に、やがて世界は滅亡すると信じている商社マンは経済動向分析に、ひたすら夢中だ。すなわち、誰もがみんな自分が情熱を賭けるジャンルにすべてを捧げ、他者を欲望せず、恋愛を必要としていないのだ。しかもかれらを招くサロンの主、資産家の令嬢である30歳の美女がまたただかれらをもてなし、たのしみながら上品に観察・鑑賞するだけ。読者は呆れる、なんだなんだなんなんだ、どうなってるの? やりたいさかりの若者たちがどうして誰も恋愛しないんだ!?? まるで登場人物全員が三島由紀夫ではないか! もっとも三島自身はこの作品に先立って、貞子さんとの大恋愛を3年間続けていて、当時の三島が堂々たる性豪だったことが伺えるのだけれど。
三島由紀夫は不思議な人だ。すでに17歳の頃から三島はプルースト文体を自在に使いこなせる天才少年作家だった。もしも誰かが三島に愛について訊ねたならば、三島は親切に、一分の隙もない正確な説明を流暢にしてくれたでしょう、愛にはアガペーとエロースがあってね、というふうに。しかし、そんな三島は当時童貞の高校生だったのだ。どこまでいっても三島は理知の人である。
そもそも性愛とは自分の欲望を叶えるために、まずは気づかれることなくそっと相手の心の小箱を開き、相手の欲望(リビドー)を解き放つことからはじまる。こんなややこしい芸当は(よほどの美男美女でもなければ)最初から巧くできるわけがない。したがって、たいていみんな恋愛は失敗からはじまる。それでも何度か振られ、哀しみ落胆し意気消沈する経験を重ねるうちに、いつのまにか恋愛のフォームを覚え、うまくいったりするものだ。すなわち、恋愛もまた(喩えるならば楽器演奏のようなものであり、いわば二重奏であって)、練習しなければ巧くならないし、また、下手くそな相手と一緒に演奏したいとおもう演奏者はいない。しかし、逆に言えば、練習すれば誰だって恋愛できるようになるものだ。別に、世紀の名演奏家を目指す必要もないのだから。
次に、恋愛を持続させるためには、〈相手が自分に抱いているファンタズム〉をつねに相手に提供してあげなければならない。もしもこれができず、相手におかまいなしなざっくばらんな自然体で接するならばそれはオヤジであり、いわゆる「大阪のおばちゃん」であって、たちまち恋愛は終わってしまう。つまり、恋愛はおたがい相手の期待と心理を読みながら、ふたりの幸福を目指し、恋愛を持続させようという意志が共有されてこそ維持できるものである。
ところが三島は、この機微が理解できない。あるいは、たとえ理解できたとしても、そんなことはプライドが許さない。なぜなら、三島は持ち前の胆力と努力精進で自己を厳しく高め、あまりにも自己完結しているがゆえ、たとえいくらかなりとも自己を他人のファンタズムに譲り渡すことなどできるわけがない。なぜなら、もしもそんなことをすれば、自分自身の完全性が崩壊しかねないからである。はやいはなしが、三島は激しく他者を欲望し誰かに自分がふさわしく理解されることを希求しながら、しかし、同時に他方で、恋愛が怖いのだ。三島のなかには少女が棲んでいて、三島は才女たちと会話も社交も楽しめるというのに。にもかかわらず、あきらかに三島は恋愛に向いていない。にもかかわらず、三島が29歳から3年間、貞子さんと幸福な恋愛関係が持てたことは奇跡的である。三島の受難の人生において幸福は唯一この3年間にのみあったという証言さえもあるほど。
三島が見合結婚をしたことは、(三島の家柄や時代のせいもあるにせよ)いかにも三島にふさわしい。もちろん三島は結婚後、13歳年下の妻・瑤子さんやさずかった一男一女をそれはそれは愛したでしょう。もっとも、この見方はあまりにも楽天的かもしれない。なぜなら三島は『禁色』を書いていて、主人公はバイでひそかにゲイライフを謳歌していた。その後三島は29歳から3年間貞子さんとの大恋愛を経験しているものの、しかし貞子さんとの関係が終わって、瑤子さんと結婚してからは、ふたたびひそかにゲイ・ライフを愉しむようにもなった。また、三島は母・倭文重さんとほとんど恋人同士のような深い心のつながりを持っていた。たとえ、本心では三島が倭文重さんから逃れたいとおもっていたとしても。しかも倭文重さんは生涯にわたって愛情によって三島を支配下においていた。それゆえ三島をめぐる妻・瑤子/姑・倭文重関係が熾烈を極めていたことは疑い得ない。瑤子さんにとって、三島との結婚が幸福であったわけがない。
他方、三島は結婚してなおゲイ・ライフを存分に謳歌したい。モテたいし、イケメンになりたい。だからこそ三島は日本で最初にモッズスーツを着た。アロハシャツにジーンズを穿いた。皮ジャンを纏った。ボクシングもした。ボディビルもやった。剣道にも情熱を捧げた。映画にも出演し、歌も歌った。三島はスターになりたがり、実際スターになりおおせた。しかし、読者はみんなおもうでしょう、三島さん、努力の方向が間違ってますよ! だって、三島さんは(母親の支配的愛情ではなく)誰かに愛されることを激しく求めてるんでしょ? しかし、三島は性と愛が分離していて、かつまた誰よりも自分を理解しているのは自分自身だ、というスタンスを崩せない。これで恋愛などできるわけがない。なお、幸か不幸かゲイ・ライフにおいては、ワン・ナイト・オンリーの関係を続けてゆくことが比較的たやすい。ただし、それは恋愛とは微妙に違う。愛の乾きは満たされない。ぼくはおもう、なんて気の毒な三島由紀夫! 三島由紀夫は世界でいちばん孤独な男だった。
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