20世紀末、七夕に「今年もSMAPが解散することなく、活躍してくれますように」と願いを書いた女子高生は、いまどうしているだろう?
当時ぼくは30代後半で、地獄の日々を生きていた。辛い現実から逃避すべく、ぼくは写真を撮ることで癒された。ぼくは窓や壁の写真を撮り、街中に咲く花の写真をライカM6にAGFAのカラーフィルムを入れて撮った。どんな季節にも花は咲く。冬場は椿、やがて梅、白いコブシ、コブシに似た紅色の花、桜、そして菖蒲、5月になればツツジ、夏にはヒマワリ、夏の終わりには女郎花というふうに。また、街で見かけたちょっと惹かれる女たちをナンパして写真を撮りもした。当時、荒木さんが写真界のスターだったけれど、ぼくは影響を受けることもなく、ぼくはただ女たちを花のように撮った。何人かの女たちはいまだにぼくの記憶に現れる。ただし、ぼくはいま彼女たちがどんな暮らしをしているか知らない。そんな彼女たちのなかに、当時女子高生だったSMAPファンの女の子もいる。ある日ぼくは彼女と、彼女の女友達たちと上野公園で遊び、不忍池で一緒に足漕ぎボートに乗って、カラオケをしたことがある。なお、ぼくは手あたり次第に音楽を聴く音楽マニアで、SMAPのアルバムを何枚かも好きだった。詞がシャンプーの快適とかそんな日常的な事柄を描いていて新鮮だった。ぼくが好きな歌は『君がなにを企んでいても』だった。また演奏はニューヨークのトップレヴェルのジャズミュージシャンたちで、しかもアルバムのなかにはたいてい1曲たとえば忌野清志郎さんの曲など、いわゆるJーPOP系の曲も入っていて、それも魅力だった。ぼくと女子高生たちは楽しい半日を過ごし、数日後彼女はぼくに葉書をくれた。足漕ぎボートは足がくたびれますね、みたいなことが書いてあった。その葉書、その彼女の無垢にぼくはつかのま癒やされた。あの娘たちは、いま、どうしているだろう?