大学教育の二つの方向
大学の教育には、理系なら
トップレベルの研究者を育てる
先端技術成果を理解する
と言う目標があります。
例えば、電磁気学を教えるとき
静電力の法則からマックスウェルの方程式に至る
マックスウエルの方程式を教えてその適用法を教える
と言う二つの道があります。1.の道は、先人の発見の道を追体験し、そこから
発見者の心に至る
と言う考えです。一方、2.の道は、電磁気学の基本法則を学んで、それが実際のアンテナなどに実践できるように、演習問題を解いていきます。
さて、ここで一問題問題として
研究者は何人必要か?
つまり大学卒業者の多くは
知識を使う立場でないか?
があります。
これに対する答えは
使う立場でも
理解を深めるためには
発見者の道を知っておく
問題演習だけなら物理的意味が分からない
という言い方が多いです。
また、もう一つ別の観点では
発見的な思考は仕事で役立つ
という人もいます。
私は企業の技術者としての経験、そして人材育成の経験から
物理的意味を考え
発見的な思考をする人材
は多く必要だと考えています。
しかし、ここでもう一つ皮肉な見方があります。これは、ある音楽家の話ですが
音大のピアノ教育はソロ演奏家を育てる課程
しかし
ソロ演奏家で食べていけるのは一握り
ただし
音大教育の成果でソロ演奏家の偉大さが解る
という発想です。つまり、自分たちを崇拝する人間を作るため、自分たちの道で挫折した人間を多く生み出す。
この発想で良いのでしょうか?
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