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ソクラテスが仏教を信じたら
前にかいた
ソクラテスと雄弁術|鈴木良実 (note.com)
ソクラテスに欠けているモノ|鈴木良実 (note.com)
が、多くのかたに見て頂きました。
そこで、今回は少し見方を変えて、ソクラテスのような哲学者が、大乗仏教を信じて、現実的な対応をしたら、どのようになるか考えました。
まずは、仏教では五つの智慧を考えます。
大円鏡智:全ての物事が鏡のように映り残っている
平等性智:他の人も平等と知る智慧
妙観察智:私達の意識の上で働く知恵
成所作智:現実世界で対応する智慧
法界体性智:究極的な実在で、上記四智慧をまとめる
ここで、大切なのは
哲学者の知恵は
意識の上で働く
妙観察智が主体
一般的な法則を求める
ということです。なお、現実対応の知恵は
本質を見抜く哲学思考より下に見る
哲学者もいます。さらに、現在のIT技術環境では
多くの事例や知識が蓄えている
大円鏡智
も、検索機能付きのAI等が、一部は対応しているでしょう。
さて、現在の人たちには「平等性智」が、理解しにくいのではないかと思います。これについては前に書きました。
比喩の前提に平等性智|鈴木良実 (note.com)
つまり、相手の能力と立場を尊重する智慧です。
この「平等性智」が、ソクラテスやプラトンに欠けているように感じます。プラトンの「哲人政治」の発想にあるように
哲学者こそ本質を知る
(他の人間は従え)
と言う、マウンティング的な発想を除去し
人それぞれの立場を思いやる
敬意を持って対応する
発想が必要だと思います。
さて、本題に戻って
ソクラテスのような哲学者が
仏教の五智を身に付けたら
と想像してみましょう。彼は
理想条件で本質を考え抜く
力は強いのですが、それ以外の
現実的な応用->成所作智
や
相手に合わせての説明->平等性智
が弱いようです。さらに言えば
正義や慈悲の抽象概念
を
実行する如来や菩薩の実現
と言う発想も無かったでしょう。
このように
多様な状況に対応して
現実的な解決をする
(仮想的な物を含めて)体験していくことで、哲学的な追求もさらに深くなるのではないかと思います。