
哲学者・詩人(作家)と政治家は違う
古代ギリシャの哲学者、プラトンは
若者を教育するのは哲学者であって詩人ではない
と主張しました。
これをもう一歩踏み込むと
哲学者:論理の世界
詩人 :イメージの世界
と言う、考え方の違いがあります。
さてこれを、話題の取り上げ方と言う観点で、もう少し考えて見ました。これは
哲(学者) :学問的に興味ある特異な事例
詩人(作家):劇的な題材を選ぶ
と言う観点で見ると、かなり近い面があります。露骨に言えば、学者は多くの場合に
論文になる極端な話
を取り上げます。例えば、哲学者サールは
中国語と英語の完全な対応表を
与えられた人間のモデルで
意味理解の問題を議論
しました。
一方、小説家の場合は
劇的な場面
を求めるようになります。例えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」では
旅順攻略で二百三高地での劇的展開
を書いています。現在の歴史研究の大勢は
旅順攻略は地味な塹壕戦法が有効
となっています。
さて、もう一つの視点が必要か、と思います。それは
政治家の現実的着眼
です。例えば
日露戦争後の講和条約
ギリギリの交渉で、国内からも不満が多い状況でした。しかし、それでも
現実的な妥協点
に落とし込んだ手腕は見事なモノです。
こうした
学者の議論と政治家の手腕は別
と言う話は、マックス・ヴェーバーが、二つの講演「仕事としての学問・仕事としての政治」でキチンと示しています。