明治の和魂が忘れたモノ
このnoteで、江戸時代までの「和魂漢才」について
漢才:建前
和魂:現実と本音
と言う形でまとめてきました。しかし、ながら江戸時代でも、蘭学と言う「洋才」が入ってくると、状況が変わってきます。つまり
洋才は実用的
な側面があります。例えば、漢方医学の「五臓六腑」は、観念的な面があり、解剖すると他の臓器が出たりしました。そこで、蘭学の「解体新書」を見ると、対応した臓器で説明できました。
この為、上の図式で和魂の領域に、洋才が侵入してきました。
一方、力を失いつつあった「漢才」は
神国日本の精神性
等の働きで
明治以降の和魂
に侵入しました。特に、明治期の国家体制には
日本民族共有の神話
等の教育が行われ
国家神道による「和魂」
が、大衆に植え付けられます。
この結果、日露戦争直後の日本では
建前:和魂でまだ戦える
本音:洋才で考えると戦えない
と言う風に、洋才に本音を奪われました。
但し、和魂漢才時代の
自然等と向き合った和魂
が、明治以降は、忘れ去られたように思います。