プラトンの『国家』と現在社会
現在の社会と、古代ギリシャの哲学者の描いた『国家』は、同じではありません。しかしながら、よく見ると、現在社会にプラトンが『国家』で描いた
哲人政治
の影響があるように思います。
確かに私達の民主主義国家は、プラトンの言う『哲人政治』とは違います。しかしながら
本質に近づく力は哲学者にあり
と言う発想は、現在社会では
本質を見抜く力がある(大学などの正統的教育を受けた)専門家に従え
と言う形で、生き続けているように思います。特にアメリカでは
学識ある有能な人間が成果を出す
と言うことで、投資の方向などを、一部の『才能ある人材』が決めています。またアメリカの大学では
「論理的思考がしっかりしている、哲学科出身者の就職は引く手あまた」
と言われています。
これは、現在に生きる『哲人政治』ではないか、と思います?
なお、プラトンは
若者の教育は詩人ではなく哲学者が行うべき
と主張しています。これは
詩的な世界観に対する論理的思考の優位
と解釈する人が多いようです。私はこの点について、二つの面から異論があります。一つ目は、プラトンの著作『ティマイオス』の存在です。これは、アトランティスの存在を記述した本として知られていますが、内容については、現在人の自然科学知識とかけ離れているので、読む人は少ないでしょう。しかしながら、国家について、理想の姿を描いた『叙事詩』と見れば、当時の国家観を上手く描いていると思います。こうした形で、哲学的な思考結果を、実現した世界をイメージしています。
さて、もう一つの論点は
『若者への教育』
と言う言葉です。つまり
「論理的思考法が育っていない若者に、哲学者の教育が必要」
と言っているのです。これは、論理的な思考が育った後に、詩的な世界観を造ることを否定しているのではありません。
もう一つ付け加えれば、プラトンの切なる願いとして
(ソクラテスを死刑にした)無知な人々を減らし、論理的に考える人を増やす
と言う想いがあったのではと思います。