
「納得支配」の原点
日本の文明には
大衆の納得で動く
そこで
「空気」の暴走もある
という特徴があります。
このような「大衆の納得」は、どのように生まれたかを、考えました。
私の考えでは、この原点は
北条泰時の御成敗式目制定(1232)
にあります。
つまり、それまで支配階級であった、皇族や貴族でなく
平民である武士達
が
自分たちの解る法律を作る
という偉業です。それまでの支配は
律令という
特権階級だけが解る法律
で行われていました。つまり
知識ある役人
の
言うことを聞け
急急如律令
の世界です。
一方、北条泰時は、御成敗式目を作るときには
武士達が納得する
様な内容を心がけています。江戸時代ではなく、鎌倉時代の武士は、貴族などから見たら
教養無き一般大衆
です。ここで
大衆の納得を得た法
を作るという偉業は、日本文明の独自性を確立しました。
当時の中華文明では
法を扱うのは科挙合格の知識人
でした。そこでは
四書五経を読みこなす人間だけの合意
で物事が進みます。西洋文明でも
学識者の世界
は確立しています。この違いに、注意すべきと思います。
なお、北条泰時は、日本仏教史上でも十傑に挙がる、明恵上人に師事しています。そこで
あるべきようは
が、北条泰時にも解ると、背中を押されています。
さて、こうした仏教の教えを受けると
誰もが仏の智慧を得る
と言う教えがあり
貴族の知識独占
から自由になって
武士の智慧を信じる
世界になりました。