政治家の哲学的思考力の問題
政治家は哲学的な思考力を持つべき
これは、プラトンの「国家」での主張です。この主張の根底には
「哲学者こそ物事の本質に迫れる」
というソクラテス以来の古代ギリシャの哲学者、そしてその子孫である、西洋文明の『高学歴者』の主張があります。この発想は、現在の多くの『文明国』に、無意識的なものも含めて、影響しています。
確かに、哲学的な思考法は
「先入観と枝破を捨て本質を見抜く」
力があります。例えば、色々な発展途上国の紛争について
「水資源の争い」
と本質を見抜くと、アフガンでの水利活動などの、実効ある対策に近づく可能性が出てきます。
しかしながら、プラトンの影響を受けている、哲学的発想は
「理想化して枝葉を無視」
する傾向があります。
確かに、一国の総理に、一人の親が
「保育園落ちた」
と、対応を迫るように、個別の細部を追及すると、本質が見えなくなります。しかし、現場を見ずに
「机の上だけで決める」
という発想も、時によってはトラブルの原因となります。例えば、アフリカの地図を見ると、経度や緯度に平行な国境が目につきます。これは、昔の植民地支配時に、宗主国の間で、支配領域を分割するときに、現場の状況を考えず、地図上で線を引いて決めたからです。そのため、一つの国に複数の部族が存在し、一つの部族が国を分かれて存在する場合があります。
極端な話、一国の首脳には、他人の苦痛に冷淡な『サイコパス』的な傾向のある人が適しているという議論までありました。
このように考えると
哲学的な思考力は便利だが
限界をわきまえて使う
必要があると思います。