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神がかりからの脱却
昨日書いた
明治期の国家神道は有効|鈴木良実 (note.com)
について、もう少し考えました。
確かに、明治の
日露戦争での生き残りまでは
国家神道による神がかり運営
は成功しました。しかしながら、これは一時の
火事場の馬鹿力
であり、常時運用できる力ではありません。
これを典型的に示すのが、日本海海戦の
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。」
との名言です。これを、英海軍のネルソンがトラファルガーの海戦で使った
「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する。」
と比べれば、ありったけの力を、一度に出す体質がでています。
確かに、日露戦争は
大国ロシアを撃退する
負ければ国が滅する戦い
でした。そこでは
無理をしてもしかたない
と言う状態でした。
しかしながら、その後の日本の指導者は
日露戦争を模範
として軍事指導を行います。そこでは
継続して戦う
と言う発想はありませんでした。
今にして思うと
大正デモクラシーの時代に
神がかりから脱却
地道な基礎力の充実
をすべきだったと思います。本当の指導者は
一時の馬鹿力
継続できる地力
を、上手に使い分ける力が必要です。
しかし、現在の経営者達も
限界突破
等を求め、地道な継続力を軽んじている人が、いるように思います。