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今を生きるということ

 今を生きるって、大人になるにつれ、すごく気をつかわないとできないことになってきた。手間がかかるのだ。

 私は元来、頭の中が忙しく、いつも何か考えている。何か考えているというと、聞こえがいいが、考えていることは大したことではなく、昨日の会話のことだったり、ずいぶん昔の旅行先で起きたトラブルの思い出だったり、どこかで聞いた宇宙の話だったり。
 それらが、風呂の中、トイレの中、皿洗い中、ストレッチ中、とにかく四六時中、頭の中で忙しく、ぐるぐる考えてしまうのだ。
 
 ひどいときは、友人との会話の途中で、その会話の単語を脳が拾っては、それに関する事柄を考え始めたりして、友人に聞いているのか!と怒られるなんてこともある。

 体調がわるかったり、疲れているときなど、昔むかしに人に迷惑をかけたことだったり、人から嫌がらせをされたことや、思い出しただけで頭を掻きむしりたくなるようなことを思い出して、実際、お風呂やトイレで頭を掻きむしっている。

 これが、疲れの原因であり、今を生きられない主な原因である。

 今を生きるということは、今現在に集中することで、今現在の自分を未来に向けて動かしていくことだとすると、頭の中でいろいろと考えて、
行動する気力がなくなっている状態というのは、とてもやばい。

 これをどうにかしようと、瞑想したり、マインドフルネスの訓練をしてみたり、私もいろいろしてみた。でもうまくいかないし、それをするのに疲れてしまう。

 こどもにとっては、今を生きるなんて言葉、意味がわからないことだろう。もう、できているから。今しか、こどもにはない。
 
 子育てをしていると、そのことを目撃する。
 こどもがテレビを見たいと泣いていたとする。そこに大好きなりんごを与える。そうすると、テレビのことなどすっかり忘れて(忘れているように見える)りんごに全神経を集中して食べるのだ。しばらくすると、テレビには目もくれず恐竜のおもちゃで遊びだす。あれ、テレビはいいんだ?よしよし、とこうなる。

 だから今を生きるために、こどもに戻ろう、なんてことはできない。
 だが、ひとつ気づいたのは、子育てしていると、現在に集中していないと、こどもの命にかかわる、ということ。今までは、頭の中の渦に身をゆだねていた時間も、こどもがいるとそうはいかない。
 食事中だって、洗濯物ほしているときだって、こどもは動き回っていて、こけたり、高いところによじのぼろうとしていたり、なんか見つけて口にいれていたり、と危ないことばかりしている。トイレにだってついてきて、いたずらしようとするし、お風呂だって一緒に入って常に見ておかないと、すべったり、水のんだりする。
 めちゃくちゃ忙しい。こちらも真剣勝負で今を生きていないと、こどもについていけない。

 私も、子育てがひと段落して、また考え始める生活に戻ってきた。あれ、これって脳が余裕があるってことか。考えたくもないことを考える余裕ができたってことで、その時間つかって脳は動きはじめているのね。

 とすると、今に集中していこう!といろいろとやっているそのときこそ、今に余裕があって、脳が今でいっぱいでなくてもやっていけるから、過去のことをほじくりかえして遊んでいるのかもしれない。

 では、今に集中するために何か対策を練ったり、今に集中するためにどうしたらいいかと考えたり検索したり、考えはじめるのを遮ったりするより、とにかく今現在の自分の課題や生活に命がかかわっているという緊張感をもって、全身全霊で取り組み、そこに脳や体のエネルギーを使い果たせばいいのではないかしら。
 
 そうすると、何か考えなくてもよい時間に、脳が休もうとして静けさが訪れるのではないだろうか。

 頭の中がしんとしていて静かな状態。クリアな状態。マラソンでランナーズハイになったような充足感が、得られるような日々を、私たちは願っている。今を生きよう、となにかをするのではなく、今を生きてみる。それが、行き場のない考えを葬る特効薬だ。


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