【小説】病院ねこのヘンナちゃん⑭(episode1)
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最初から読む?→病院ねこのヘンナちゃん①
HSPってなんだろう。
もしかして脳や神経の病気?
それって漢方で治るの?
「焼き芋は喉が渇くね~~。蜂蜜レモン、飲む?」
固唾をのんで次の言葉を待っていたアタシは、カクッとずっこけた。
う~~~ん、ヒヨコ先生ったら、相変わらず上手いなぁ、緊張のゆるめ方。
何気なく、すっと圧を下げちゃう。
ネコ釜の火がパチパチはぜる。
ヒヨコ先生は持参の水筒からカップにお湯を注ぐ。
カップの中にはあらかじめレモンのスライスと蜂蜜が入っていて、そこに傍らのミントを摘んで浮かす。
人間はミントが好きよね。アタシはちょっと苦手。
時期的に葉物野菜は少ないけれど、ハーブは地面に這いつくばるようにして頑張っている。
ハーブって、たくましい。
ふうふうしながら、蜂蜜レモンを飲む二人。
静かな時間…。
ゆったり空を横切っていったのはトンビかな。
「あのね、楓子さん。HSPは病気ではないの。
性格…でもない。
これは持って生まれた気質。
背が高いとか、爪の形が丸いとか、くせ毛とかと同じで、変えられない。
でも欠点でもないのよ。」
アタシは楓子さんの膝によじ登った。近くにいなくちゃ!…とすごく思ったから。
スカートに爪を立てちゃって、ごめんね。
「どうして5人にひとりなんて、高い割合でHSPがいると思う?」
「…分かりません。」
「必要だからよ。人類が生き残るために、小さいことによく気がついて、リスク回避できる、繊細な人たちが必要だったの。
それは今も変わらない。
職場で学校で家庭で、…繊細な感覚で社会を見る人が必要なの。
だから気に病むことはないよ。」
「はあ…。」
「でも、小さな音が気になったり、看板の文字をうるさく感じたり、人の感情に振り回されたり、普通に生活するだけでも神経をすり減らして、ぐったり疲れちゃうよね。
それがストレスになって胃にくるから、貴女はとても食が細い。」
無意識のうちにお腹に手を当てる楓子さん。
「気がついて。そして受け入れてね。
自分が悪いわけではなく、HSPという持って生まれた気質のせいで、過度の緊張を強いられているって。
周りの人たちは、貴女ほどいろいろ感じたり、気がついたり、傷ついたりしていないって。
もっと適当に、いい加減に、スルーしながら生きてもいいんだって。
自分がHSPだと知っているだけで、状況はずいぶん変わってくるよ。」
ハイリ-・センシティブ・パーソン。
さっきのセルフチェックもそうだけれど、楓子さんには思い当たる節があるようだ。
「先生、私…、他の人と感じ方が違うということ、なんとなく分かるような気がします。
私はとても気になるのに、誰も気にしていなかったり、気づいてすらいないこと、よくあります。」
ほっとため息をついて、楓子さんは過去に思いを馳せた。
楓子さんのお母さんは、明るくて働き者だけれど、動作が多少荒っぽい。
ドアをバタンと閉めたり、食器をガチャンと置いたり、大きな声で電話をしたりする。
本人にとっては生活音の範囲内で、不機嫌なわけでも、悪気があるわけでもない。
だけど楓子さんには、その音が頭の中でわんわん響く。
大きな音がする度にびっくりして、呼吸が止まりそうになる。
付けっぱなしのテレビの音も、騒音以外のなにものでもない。
子どもの頃、楓子さんは押し入れの中で遊ぶのが好きだった。
ある程度、音が遮断されるので、落ち着いたのだろう。
暗い押し入れに懐中電灯を持ち込んで、ぬいぐるみたちと過ごす時間は、すごく安らかだった。
大雑把な性格のお母さんは、整理整頓も苦手だった。
掃除はこまめにしていたが、部屋にはものが溢れていて、雑多な色と形が常に視界にあった。
目がチカチカする…。
子どもだったので、もの自体を減らしたり、色を統一したり、収納ですっきりさせたりする知恵はない。
幼いながらに、居心地が悪いと感じていた。
だが楓子さんを一番悩ませたのは、他人の感情だ。
人の機嫌の善し悪しが、一発で分かる。
みっつ違いのお姉さんは、感情の起伏が激しい人だった。
機嫌がいい時は太陽のように明るく優しいのだが、ちょっとしたことで気分を害し、たちまちブリザードのように冷たくなる。
そのスイッチが切り替わる瞬間を、楓子さんは正確にキャッチした。
原因が楓子さんの場合もあるが、そうでない時の方が多かった。
テストの点が悪かったとか、お気に入りの消しゴムを無くしたとか、親友が他の子とお祭りに行っちゃったとか、推しのコンサートチケットの抽選に外れたとか、髪のブローが上手くいかなかったとか、きっかけは他愛もないこと。
お姉さんはなんの遠慮もなく、自分の不機嫌をまき散らした。
またか…と家族は軽く受け流し、時にはたしなめる。
だが楓子さんはスルーすることができない。
不機嫌の衝撃波をもろにかぶり、心が疲弊した。
自分のせいじゃない、自分に対して怒っているわけではない、そう分かっていても、そのピリピリした空気に神経がやられてしまう。
嵐が通り過ぎることを、ただひたすら待ち続けた。
胃の痛みに耐えながら。