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社会正義とは?『無知のヴェール』について考える

Xのタイムラインを見ていると、あっちでもこっちでも問題が勃発しているので、ここで『無知のヴェール』について書いておこうと思う。

『無知のヴェール』は、アメリカの哲学者ジョン・ロールズが、著書『正義論』の中で提唱した概念で、社会的・政治的な公正さを考える際に、個人の立場や状況にとらわれず、公平な判断を行うための思考実験として提案された。

ある状況で公平なルールを決定する際に、参加者全員が自分の社会的地位、能力、性別、人種、財産、宗教など、個人的な情報を知らない状態を想定するもの。言い換えれば、自分がどのような状況に生まれるかを知らない「無知」の状態で、どのような社会契約や制度が公正であるかを考えるというものだ。

この思考実験の目的は、利己的なバイアスを排除し、全ての人々が納得できる公正なルールを設けること。参加者が自分の立場や利害を知っていれば、それに有利なルールを求める可能性があるが、『無知のヴェール』を被ることで、誰もが平等な立場でルールを策定できるようになるというのがその考え方である。

ロールズは、この『無知のヴェール』のもとで考えられる正義の原則を「公正としての正義」として提案しており、彼はこれを以下の二つの原則にまとめている。(長くなるので要約している)

【基本的自由の原則】
全ての人々は、基本的な自由を平等に享受する権利を持つべきである。

【格差原則(差異原則)】
社会的・経済的な不平等は許容されるが、それは最も不利な立場にある人々の利益を最大化する場合に限られる。

これらの原則は、「無知のヴェール」のもとで合意されるであろうとロールズは主張している。


社会問題を考える時、人は「自分の立場」や「相反する一方の立場」「共感出来る側」に寄って物事を考えがちだが、自分の社会的地位、能力、性別、人種、財産、宗教など、個人的な情報を自分が認識していない状態であれば、「立場主義」にはなり得ない。

特に、抑圧・排除されがちなマイノリティの立場に自分が置かれたらどうだろうか?と考えてみることは、少数の声を排除しない社会の公正さを考える上で、とても重要だと思う。

この思考実験は、社会問題・社会正義を考える上で重要なだけではなく、対人トラブルの問題解決にも有効だ。
自分以外の「誰か」の立場で考えてみること。
その時に、『無知のヴェール』を意識すること。
今の自分の考えは、「自分(或いは親しい人)の立場・利害で考えているから言えることでは無いのか?」と。

あの界隈も、あの界隈も、恐らく殆どの人がそうしたことに無自覚だと思う。
私が常に『無知のヴェール』で物事を考えているか?というと、そこまで達観は出来ていないが、誰かの理不尽に思える攻撃性を見た時は特に、「その攻撃性の原因は何か?」とか「自分その立場だったらどう思うか?」等は考えるようにしている。

結局、相手の考えや行動はほとんどこの「立場」ゆえの認知バイアスの影響を受けている為、その立場を離れた理解を相手に求めることは難しいが(無理というわけではないが、時間も労力も要す上に確実性は無い)、自分自身が『無知のヴェール』で見方・考え方・行動を変えることは可能だ。

それは、相手に迎合したり忖度したり折れるという意味ではない。
普遍的な倫理や社会正義について「立場を離れて考えてみる」ことで、中立・公正・公平な視点を得られるということだ。

もし、世の中のほとんどの人々がこうした視点を持った社会の構造が出来れば、負の感情(怒り・悲しみ・恐れ・嫉妬・憎悪・罪悪感・羞恥心・無力感・嫌悪感)から派生する犯罪や対人トラブルや偏見や差別や貧困や格差も無くなるのではないかと思う。

そんな日を夢見て。


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