だいぶモヤモヤが晴れた感じはします。(好きになれるかどうかは別w):読書録「文化系のためのヒップホップ入門」
・文化系のためのヒップホップ入門
著者:長谷川町蔵、大和田俊之
出版:アルテスパブリッシング(Kindle版)
ストリーミングをメインで使うようになって、それはそれで音楽の楽しみ方が広がったなぁって気持ちはあるんですが、一方でちょっとした疑問も。
「アメリカじゃヒップホップがメインストリームになってるのに、日本じゃ何で流行んないの?」
僕個人の嗜好から言い直すと、
「なんであんなにアメリカでヒップホップが流行ってんだか、さっぱりわからん」
各国の流行りとかがリアルタイムでプレイリストなんかで可視化されるようになっただけに、この日米格差が気になっちゃうんですよね。
まあ、そこら辺が気になって大和田さんの「アメリカ音楽史」と「アメリカ音楽の新しい地図」を読んだんですけど、前者は「ヒップホップ隆盛」直前、後者は「ヒップホップが土壌となった」あとを描いているので、「なんでヒップホップがこんなに…」って疑問にはチョットずれちゃってたんですよね。
ズレてるけど、どんどん気にはなる。
…ってことで、とうとう本書に手を出しちゃいましたw。
「2012年」出版と少し古いのと、3冊シリーズになってるってので、敬遠してたんですけどねぇ。
でも結果、「大正解」でした。
本書の内容については、シリーズ第2作の冒頭に簡潔にまとめてあります。
(そう。読み終わって、続編、買っちゃいましたw)
<ヒップホップは 70年代末のニューヨークで生まれましたが、 90年代に入ると西海岸を中心にギャングスタ・ラップが台頭します。このとき「ギャング」のイメージについていけないファンが振り落とされたというか、聴くのを止めてしまった人が日本にもたくさんいました。ところがゼロ年代以降、もう一度サウンドがドラスティックに変化したことで、多くのファンがさらにもう一度ふるいにかけられた。「なんかこれ、もうヒップホップじゃないよね」と見切りをつけた人がたくさんいた。もちろん、その都度新しいファンも獲得しているわけですが、このゼロ年代以降のサウンドの変化がいわゆる「ダーティー・サウス」、南部産ヒップホップの台頭ということですよね。>(大和田)
ここら辺を具体的なミュージシャン・楽曲をフォローしつつ解説してくれているのが、本書です。
でまあ、僕の立ち位置は<このとき「ギャング」のイメージについていけないファンが振り落とされたというか、聴くのを止めてしまった人が日本にもたくさんいました。>ってとこですかねw。
ここで背を向けちゃったんで、その後の「サウス」の流れが耳に入らず、<今>への繋がりが見えなくなってる…ってとこです。
本書の終盤には「ブルーノ・マーズ」やら「ファレル・ウイリアムス」あたりが顔を出してるんですが、彼らの登場が唐突な感じがしたのも、僕がこの流れを追い切れてなかったからです。
じゃあ、なんで僕は「振り落とされちゃった」のか。
それはまあ、山下達郎の名言の通りかなw。
<まあ、でも日本の音楽シーンはどれだけアメリカの音楽を輸入しても最終的には歌謡曲化、 Jポップ化してしまうところが逆に面白いわけで。もともとループ音楽は受け入れられにくいですしね。むかし、山下達郎さんが「結局のところ日本人に J Bは理解できない」って言ってたのを思いだします。>(大和田)
「ループ音楽」
これがね。これにハマれるかどうか。
ジャズ好きなんで、ハマれなくはなかったと思うんですけど、そこに「ギャングスタ」がきちゃって、なんかマッチョなノリについていけなくなって、振り落とされちゃった、と。
マッチョ。
苦手なんすよw。
<大和田 なるほどなあ。僕はこの時代の黒人音楽の変化をつぶさに追っていたわけではないんですが、じつは別の視点から同じようなことを考えていました。つまり 100年以上に及ぶアメリカ黒人音楽史の重心をどこに置くかと考えたとき、 R& Bやソウル──そしてニュー・ジャック・スウィングを加えてもいいんですが──の流れはむしろ傍流なのではないか、と。本流はあくまでもブルース、ジャズ、ファンク、そしてヒップホップなんですよ。
長谷川 ほお。
大和田 後者の流れは突きつめればループ、いわゆる反復音楽です。それに対して R& Bやソウルは反復音楽ではないですよね。つまり、楽曲に〈構造〉があるということです。 Aメロがあって Bメロがあってサビがある。それは起承転結の物語構造をもっているという意味で、むしろクラシック音楽やポップスに近いんです。こうした楽曲にはちゃんとクライマックスがあって、最後には余韻やカタルシスがある。でも先ほどいったように反復音楽にはサビはありません。言い換えれば、クライマックスが常に先送りにされる宙づり状態が延々と続いているともいえます。いま R・ケリーの 2曲をあらためて聞いてわかるのは、要するにポイントは、楽曲の根底に反復/宙づりの感覚があるかどうかだってことなんですよ。そもそもヒップホップのベースになる「ブレイクビーツ」は前進運動する楽曲の一部を抜き出して反復運動にするという行為です。それは起承転結に象徴される物語構造の直線性をループに転換することだともいえます。そして重要なのは、今アメリカで R& Bといわれているものの多くは、じつはヒップホップのサブジャンルであって、その逆ではないってことです。>
「ギャングスタ」に対する苦手意識を除くと、上記のような大和田さんの整理(ブルース、ジャズ、ファンク、そしてヒップホップ)ってストンと頭に入ります。
こう整理すると、僕個人の趣味的にも合うはずなんだけどなぁ…と。
で、改めて本書を読みながら紹介されてる曲をSpotifyやApple Musicで聴いてみると…
いや、確かにこれはイケるかもw。
ちなみにヒップホップについてはもう一点。
「英語歌詞が分かんないと意味ないんじゃないの?」
ってのもあるんですが、ここはこの指摘で吹っ切れましたw。
<長谷川 (中略)ヒップホップをロックと同じように音楽だと思うから面白さがわからないのであって、「ヒップホップは音楽ではない」、そう考えれば、逆にヒップホップの面白さが見えてくるんです。
大和田 えっ!
ヒップホップは音楽じゃないんですか!
(中略)でも音楽じゃないとするとなんでしょう?
長谷川 ずばり、一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです。>
<長谷川 ヒップホップはあくまで、みんなが漠然と考えていることを気の利いた言い回しでラップできれば勝ち、っていうゲームなんですよ。>
「ザ・ソングライターズ」で佐野元春さんとKREVAさんの会話がビミョ〜に噛み合ってなかったのもここら辺かなw。
「歌詞の意味なんか、どうでもいい」(極論)
そう思うと、なんか、更にストンと入ってくるようになりました。
(いや、そりゃ分かったほうがいいに決まってますよw)
とはいえ、本書で紹介されているのは「2010年代初頭」まで。
ヒップホップがアメリカ音楽のメインストリームになるのは、「ここから」という気がします。
…ということで、「第2弾」も買ってしまいました。
また紹介される曲を追いかけながら、ぼちぼち聴いていきたいと思います。
まあ、根っこのところで僕に「JBが理解できるか」ってのは、なんとも言えないんですけどw。
PS 「マッチョ」って言ってますが、ギャングスタ全盛期の東西抗争は洒落にならないレベルです。
「仁義なき戦い」まんまだもん。(それをヒット曲を出してるミュージシャンがやってるっていう、映画みたいな事実の世界)
「ストレイト・アウタ・コンプトン」、見なきゃなぁ。
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