簡単な話ではないけど、見捨てることは社会全体を脆弱化させるリスクにつながる:読書録「どうしても頑張れない人たち」
・どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2
著者:宮口幸治 ナレーター:斉藤マサキ
出版:新潮新書(audible版)
「ケーキの切れない非行少年たち」の続編。
前作が作者の体験から、認知障害を持った人たちの「生きづらさ」について分析し論じたのに対して、本書は彼らと接してきた経験から、その「対処療法」について、「頑張れない人たち」自身、その支援者の双方の視点から考察したものです。
(「どうしても頑張れない人たち」=「認知障害を持っている」というわけではないのですが、いずれもそれぞれの人生経験の中で挫折を重ね、「成功体験」や「自尊感情」を持つことができず、社会や他人に対して複雑な心情を持っているという点では共通しているところがあります)
内容自体は「コーチング」や「心理学療法」、あるいは「マナー本」なんかで読んだことがあるようなことが列挙されていると言ってもいいかもしれません。
「だから役に立たない」
ってわけじゃなくて、それらを「どうしても頑張れない人たち」の立ち直り・支援という視点で整理し直した…と考えた方がいいでしょうね。
読んでて、気づきや思うところもありました。
一方で、こういう「支援」の難しさも改めて痛感させられました。
「関わると面倒くさい人こそが支援が必要」
と作者も書いていますが、ただ善意だけで支援の手を差し伸べるには、あまりにも複雑で感情的にもキツいことがありうることが本書では書かれています。
「ここまで考えて、忍耐強く接しないといけないのか」
…と思うと、二の足を踏んでしまうのが正直なところ(作者も指摘しています)。もちろん、これは<今現在>支援を必要とする状況に僕自身(+家族)がないからこそ言える感想ではあるのですが(今後、それが反転する可能性は常にあります)。
しかしながら、じゃあそういう人たちに目を背け、支援の必要性を無視し、「能力主義」的な価値観でやっていけばいいのか?
それは結局、「やまゆり園」事件の加害者の思想と同じ価値観に通じていく可能性がありますし、作者が想定する認知障害を持つ可能性のある人々の数(人口の十数%)を考えると、社会の安定性を揺るがすリスクにつながる可能性もあります。
コミュニケーション能力や計画能力等を必要とする第三次産業が日本産業の中核となる一方、日本経済の成長性が鈍化する中で、「生産性の低い人々」への目線や具体的な支援(そこには経済的な裏付けが必要となります)が途絶えがちとなってしまうことが、大きな背景としてあるのでは…というのが僕の考えでもあります。
本当に難しいですね。
「無理ゲー社会」でが橘玲さんが、本来リベラルが手を差し伸べなければならないのがこういう人たちのはずなのに、メリトクラシー(能力主義=頑張れば成功する)がベースにあるリベラルはこういう層の価値観を排除してしまう旨のことを書いておられたと思うのですが、日本の場合はまだ左派に「弱者目線」があるものの、それが「権力批判」のストーリーに組み込まれてしまい、現実的な支援につながらないという状況があると思います。(一方でなぜか右派が「自己責任」を掲げているのですが)
「旧統一教会」批判もな〜。
ただ前書も本書も売れてるようですし、作品も漫画化されていて、主張の広がりは見せているようです。
そういう地道な理解の広まりが、結局は一番重要なことなのかもしれません。
個人的には具体的支援に踏み込む勇気はまだありません。
でもその目線は少しなりとも共有したいというのが、今の正直な感想でしょうか。