ポリティカル・コレクトという物語、反PCという物語:読書録「ただしさに殺されないために」
・ただしさに殺されないために 声なき者への社会論
著者:御田寺圭
出版:大和書房
「テラケイ」さんのエッセイ集。
「善意」から生まれ、ある種の社会的マナーにもなりつつあるポリティカル・コレクトに対して、その視点からは見えてこない層の存在についてライトを当てる。
…ってな感じかなぁと読みながら感じました。
まあ、そういう括りにおさまらない指摘もあるんですけどねw。
全般的にはPC/リベラルに対してネガティブだろうとは思います。橘玲さんを思い出しました。
収められている文章は30。
文明の衝突、アルティメット・フェアネス、人権のミサイル、両面性テストの時代、共鳴するラディカリズム、リベラリズムの奇形的進化
キャンセル・カルチャー、NIMBY、排除アート、植松聖の置き土産、輝く星の物語、闘争と融和
ルッキズム、マッチングアプリに絶望する男、健やかで不自由な世界、自由のない国、置き去り死、死神のルーレット
親ガチャ、子育て支援をめぐる分断、能力主義、低賃金カルテル、キラキラと輝く私の人生のために、平等の克服
子ども部屋おじさん、暗い祈り、きれいなつながり、搾取者であり慈善家であり、共同体のジレンマ、疎外者たちの行方
それぞれ興味深い内容で、考えさせられもします。
「コロナ」については、on the wayなのに論評しているので、若干ズレなんかも感じますがね(確かに初期は権威主義的な国家の方がコロナ対策がうまく行ったように思われましたが、現状はそうでもない…とか)。
ここら辺、厳密なファクトや科学的知見をベースにして論を立ててる訳でもないので、主張に流れすぎるところもあるかな、と。
(ちょっとそこら辺は橘さんとは違うかな?)
でも取り上げている視点は、僕が持っているちょっとした違和感なんかにも通じるところがあって、決して読み飛ばしができるような内容ではありませんでした。
<私たちが美しいと信じていたものが、実は醜い。ただしいと信じていたものが、間違っている。高潔だと信じていたものが汚く、重要だと思っていたものが些末である。
私たちは物語を信じたがる。物語は往々にして、だれからも喜ばれるようにと、心からの善意が込められ、丁寧に編まれている。物語は雄弁であるがゆえに、なにも語らない。
私は物語を否定するために、この本を書いた。
穏やかな夜に身を任せてはならない。
私は物語を否定する。>
リベラルやポリティカル・コレクトに対して投げかけられた言葉なんだろう、と。
「地獄への道は善意で舗装されている」
なんて言葉を思い出したりもします。
でも、じゃあ「反」PCの主張はどうなんだろう。
それもまた、「物語」を語っているのではないだろうか?
一方で、そんなことを僕は考えたりもします。
個人的に反PC的な意見を読み過ぎただけかもしれませんがw。
もちろんそれは本書の否定ではありません。
「物語」を揺るがせること。
それが重要であると、僕も考えています。
ただ同時に「物語から解放されることはないのだ」という認識も必要なのではないか、と。
だからこそ、こういう本を読む意義は僕にとって少なくないんですけど。
しかしオダケイさん。
ちょっとフェミニズムに厳しすぎませんか?w
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