「事実」への畏敬の念を失ったところに「空気」が蔓延る?:読書録「昭和16年夏の敗戦 新版」
・昭和16年夏の敗戦 新版
著者:猪瀬直樹
出版:中公文庫(Kindle版)
朝ドラ「虎に翼」に<総力戦研究所>のことが登場したので(主人公が再婚する相手が総力戦研究所所属だったと言う設定)、読んでみる気になりました。
最初の版で一度読んで、前の文庫でもう一回。今回「新版」で、読むのは三回目になりますかね。
<Amazonより>
各界の著名人が絶賛!
日本的組織の構造的欠陥に迫る、全国民必読の書
〈広く読まれるべき本。講演で何度もすすめている〉
小泉純一郎(元内閣総理大臣)
〈データを無視し「空気」で決める。
この日本的悪習を撤廃しないかぎり、企業の「敗戦」も免れない〉
冨山和彦(経営共創基盤代表取締役CEO)
〈これは過去の歴史ではない。いまだ日本で起きていることだ〉
堀江貴文
〈私は、本書をまずまっ先に読むように若い学生諸君に伝えたい〉
橋爪大三郎(社会学者、大学院大学至善館教授)
〈結論ありきで大勢に流される日本の弱点が活写され、時代を超えて私たちに問いかける。あれからいったい何が変わったのか、と〉
三浦瑠麗(国際政治学者)
日米開戦前夜、四年後の敗戦は正確に予言されていた!
平均年齢33歳、「総力戦研究所」の若きエリート集団が出した結論は「日本必敗」。それでもなお開戦へと突き進んだのはなぜか。客観的な分析を無視し、無謀な戦争へと突入したプロセスを克明に描き、日本的組織の構造的欠陥を衝く。
〈巻末対談〉石破 茂×猪瀬直樹
まあ、何度読んでも虚しくなります。
研究員の発表を聞いた東條英機の反応。
<「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちの考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡なことが勝利につながっていく。したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とはいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということでありますッ」>
本書は「総力戦研究所」を取り上げた作品なんだけど、内容としては「東條英機」の人物像を掘り下げた作品でもあります。
<軍国主義の権化>としての東條英機ではなく、<天皇の忠臣>であり、<職務に忠実な官僚>としての東條英機が本書では描かれています。
「総力戦研究所」の研究結果というのは、実際のところ意外なものではなく、「総力戦」というものが(短期決戦でないとすると)最終的には「物量」によって決定される以上、合理的に積み上げて行けば誰がやっても同じ結果になるんですよね。
「合理的に積み上げる」には一定以上の能力が必要で、そのために30代の優秀な人材が集められたんですが、一方で当時の政府や軍部の中枢人物であれば、それだけの能力を持ってる人は少なくなかった。
おそらくは東條英機自身もその一人でしょう。
だからこそ「この机上演習の経過を、諸君は軽はずみに口外してはならぬ」と口止めをした。
にもかかわらず、当時の日本政府は「開戦」の道を選んだ。
そこには「開戦せざるを得ない」という<空気>があったからだ
…というのが本書の流れになるんですが、今回読んで気になったのは、
「じゃあ、<開戦>しないとしたら、どうすべきだったのか?その議論はどこでされていたのか?」
煎じ詰めれば日米交渉の条件面での議論なんですが、現実にされていたのは「ここは譲れない」みたいな話で、「譲れない」となれば「開戦しかない」…と、ここは検討ですらありません。
中国からの撤退も視野に入れて、「どういう方向に日本はなるべきなのか」
この議論は<総力戦研究所>でもされていません(そういう研究をする立場でもないけど)。
その議論がされないこと自体がすでに選択肢を捨てていたってことなんでしょうかね。これは。
<総力戦研究所>のことが朝ドラで取り上げられていることを知って、猪瀬さん自身がXに投稿をされています。
…う〜ん、どうだろう。
東京オリンピック前のあの時期、<総力戦研究所>が根拠していたような「客観的事実」って、新型コロナについて積み上がってましたっけ?
今現在に至るまで、そこって整理されてないと僕は思ってるんだけど…。
まあ「空気」と言いたいのは分からなくもないんですけど、「空気」で判断せざるを得なかった側面もあったんじゃないかってのが僕の感覚だし(「新版」で追加された文章でコロナ禍での安倍首相の「休校宣言」を猪瀬さんはあげています)、もしかしたら「空気」にすらなってなかった中で決めざるを得なかったってことなんじゃないか、とも。(「空気」ならオリンピックの中止もありえたように思います)
そういう意味で、ここで「日米開戦」と「コロナ対応」を並列することはどうなのかな…というのが僕の正直な感想です。
<〝事実〟を畏怖することと正反対の立場が、政治である。政治は目的(観念)をかかえている。目的のために、〝事実〟が従属させられる。画布の中心に描かれた人物の背景に、果物や花瓶があるように配列されてしまうのである。>
コロナ禍への政府の対応も、このタイミングでの猪瀬さんの発言も、「政治」でしょう。
「36歳」の猪瀬さんならそう言うんじゃないかなぁ。
とまあ色々考えましたが、本書が「読むべき一冊」なのは確かです。
“事実”を畏怖すること
そのことから目を背けて「大人の判断=政治」をするようになったら、<退場>も考えなきゃいかんのかもなぁ。
これは僕自身へ投げかける言葉でもあるか、と。
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