「嘘八百」じゃないけど、魔法の呪文じゃないよ…ってことかな?:読書録「Web3とは何か」
・Web3とは何か NFT、ブロックチェーン、メタバース
著者:岡嶋裕史
出版:光文社新書(Kindle版)
こういう話の場合、ビジネスが当然絡むので、ポジショントーク、そこまで意識的じゃなくてもバイアスが発言に絡んでくるのはやむを得ないところ。
作者自身、その点は認識しているし、自分の発言にもそういうところがある可能性は明言しています。
ま、そのことが信頼度を増す…ってのはありますねw。
作者の考えは、
「Web3は上手くいかない」
というところにあります。
整理すると、
①「Web3」は「非中央集権的なプラットフォームという思想」であり、その中核にあるのは「ブロックチェーン」という技術
②「ブロックチェーン」という技術そのものは「非中央集権的」で「透明性」もあるが、その活用は難しく、個人のスキルと自己責任を要求するし、コストもかかる。
③「②」をクリアするために<取引所>等の外部機関が使われるのだが、この外部機関は<中央集権的>であり、Web3の思想とは相容れないところがある。
④「何を実現したいのか」に焦点を当てると、「ブロックチェーン」を使う必然性があることはあまりない。(必然性がある分野もあるが、それは限られる)
⑤NFTは「利便性」という観点から取引所や評価機関が不可欠であり、その時点でWeb3的ではない。アーティストの権利を強化するという側面も流通面や活用面から考えると疑問。(そこら辺は「ブロックチェーン」が担っているわけでもない)
⑥メタバースについてはそもそも「中央集権的サービス」であり、ブロックチェーンが使われる必然性もない。並んで話されるのは単にビジネス的要請(資金の確保)のためだけ。
身も蓋もないですわなw。
<ぼくは Web 3はあんまりうまくいかないだろうと考えている。
一つには、先ほどの話を受ける形になるが、実現手段をブロックチェーンにこだわりすぎているからだ。
そして、もう一つの、より大きな理由は利用者の欲求だ。
本文中でも繰り返したが、一般利用者は本当にレイジーである。少しでもめんどうなステップがあると、そのしくみを使わない。>
<Web 3の「非中央集権的なプラットフォーム」という思想は広まっていくだろう。 しかし、その実装技術としてのブロックチェーンはどこかで骨抜きにされるだろうし、別の技術によって編み上げられた完成形の Web 3も、非中央集権という言葉が示すものは本来の意味での非中央集権ではなく、「旧勢力から力を奪った、別の寡占企業が力を統べる場」になるだろう。>
作者自身は「ブロックチェーン」という技術は面白いと思っています(本も書いてるくらい)。
ただそれが社会の中核をなすような技術になって実装されるとは考えていないし、「Web3」を実現するようなものでもないと主張しています。
ここら辺、「パソ通」くらいからネットに接し、「ブログ」で活用の幅を広げた僕は感覚的に同意できます。
<その物語が書き換えられようとしている。
「Web 2・ 0はプラットフォーマーのための中央集権的なしくみだった。 Web 3はそれを打破し、個人の手に力を取り戻す」、あたりが典型的だ。
そうではなくて、インターネットも Web 1・ 0も Web 2・ 0も分権的だった。でも、それを持て余した利用者が望んだ末に GAFAができあがったのだ。グーグルはかつて、自由の側の旗手だった。プロプライエタリなマイクロソフトに対して、オープンで公平なシステムを目指すインターネット時代の申し子だったのである。>
全くその通りなんですよね。
じゃあ、どうすればいいのか?
「今こそ、D X(デジタル・トランスメーション)をちゃんとやろうよ」
<変わらなければならない(ここはほとんど合意されている)
↓
いろんなしがらみや、コスパ、手間なんかを考えると変われない(昔からそうだ)
↓
デジタル技術を使えば、現実的な手間と費用で変われるぞ!>
その技術も揃ってきてるのが今のタイミング。
だから(資金をとってくるために「ブロックチェーン」とか「Web3」とか掲げるのは目を瞑るとして)ちゃんと適した技術でDXをやることが、今社会にとって必要なことである。
…というのが作者の結論だと思います。
実に真っ当。
ケレン味はないけどねw。
web、インターネットの技術論から入るので、最初はとっつきにくいけど、そこを乗り越えると実にわかりやすく、納得のできる内容です。
個人的にはもうちょっと「Web3」には期待したいのですがw、結論には僕も同意です。
やれることはかなり増えている。
やるかどうか…なんですよね。実際。
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