いやぁ、泣けた、泣けた。:読書録「まいまいつぶろ」
・まいまいつぶろ
著者:村木嵐 ナレーター:土屋トシヒデ
出版:幻冬舎(audible版)
口が回らず、誰にも言葉が届かない、歩いた後には尿を引きずった跡が残り、その姿から「まいまいつぶろ(カタツムリ)」と呼ばれた9代将軍、徳川家重と、ただ1人、彼の言葉を理解することができた小姓(のちに側用人)大岡忠光の主従を超えた友情を描いた作品。
<もう一度生まれても、私はこの身体でよい。
そなたに会えるのならば。>
帯にあるこのセリフは、小説の終盤に出てくる家重のセリフですが、もうこの言葉が全てを物語っています。
生まれつきの障害があって、身体が不自由なだけでなく、発する言葉が誰にも理解されない家重ですが、実際には極めて聡明であり、(自分の境遇もあり)優しく慈愛に溢れた人物です。
その家重が、自分の言葉を理解できる人物(忠光)に出会い、彼の口を借りることによって、世界と繋がるようになり、<将軍>としての道を歩むようになる。
そんな二人を大切に見つめる大岡忠相や老中・酒井忠音
幕府中興の祖として、権力者としての厳しさを持ちながらも、その裏には子を想う気持ちを抱えていた徳川吉宗
何より、正室である比宮と家重の心通わせる様子は、忠光と家重との関係に並んで、本書の読みどころでしょう。
(それだけに、家重の子・家治を産んだお幸の方の変節には一抹の寂しさを感じもしますが)
物語の終盤、郡上一揆の裁きにおいて、家重はその能力を発揮します。(一揆弾圧の裏に幕閣も関与していたことを家重が看破する)
歴史上では田沼意次を引き上げたことが、人を見る目があったことの証拠とも言えるでしょう。
ただまあ、そのようなことはおそらく家重にとっては重要なことではなかった。
自分を信じてくれたものたちのために、自らの能力を明らかにできたことは喜ばしいことであったとはいえ、それが彼にとっての幸せではなかった。
<「さらばだ、忠光」
人に言葉を聞かれぬというのはなかなかに具合が好い。
「まいまいつぶりと指をさされ、口がきけずにに幸いであった。そのおかげで、私はそなたに会うことができた」
心の底からそう思った。
「もう一度生まれても、私はこの身体で良い。忠光に会えるのならば」>
聴いてる時に、思わず嗚咽が漏れちゃって、横にいた飼い犬(こふく)をびっくりさせちゃいましたw。
もしかしたら将軍になどならずとも、どこかの小藩の藩主と忠臣として過ごした方が、二人にとっては幸せだったのかもしれません。
(そのことを吉宗が思う節もあります)
それでも、この二人が出会い、こう言う人生を歩むことは、稀有な運命だったのだ、と。
そんな想いにさせられる一冊です。
思わぬ嗚咽が漏れちゃうかもしれませんので、外で読む時にはご注意を
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