【啓蒙】「いただきます」は言わなくていい【言っている方はサイコパスです】
どうも、 #すずまち です。
皆さんは食事の前に「 #いただきます 」と言っているでしょうか。
もちろんボクは言っています。
だけどよく考えてみてください。
「いただきます」ってかなり #サイコパス な言葉じゃないですか?
もしピンとこない方がいたらその方は間違いなくサイコパス予備軍です。
このことについて #啓蒙 していきたいと思います。
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【歪んだ命】
そもそもなぜ「いただきます」というのでしょうか。
「頂く」+「ます」が語源らしいです。
つまり、食事を作ってくださった方にありがとう、
作物を作ってくれた方にありがとう、
肉となってくれた牛や豚や鶏さんにありがとうを伝えるために言っているんですね。
んん!?
いやちょと待て。
この時点でおかしいですよ!!!
食事を作ってくださった方や作物を作ってくださった方に感謝するのは分かります。
自分が生きるために必要な食べ物を自分の代わりに生産してくれたわけですから、時間や手間を考えると感謝せざるを得ません。
これは食べ物に限らず、おまわりさんにもお医者さんにもコンビニのアルバイトくんにも同じことが言えますね。
おかしいのはその次です。
【肉となってくれた牛や豚や鶏さんにありがとう】
すなわち、
「ボクが生きるために死んでくれてありがとう」
↓
「ボクが感謝すれば牛さんも喜ぶよね」
↓
「ボクが喜んでんだから、牛もボクのために死ねて嬉しいでしょ笑?」
、、、う〜わ…
サイコパスと言うよりはもはや #ヤンデレ …いや #メンヘラ …
ボクの持論としては、生き物がほかの生き物の命を食らうのは自然のことなので、わざわざ肉になってくれたことを感謝する必要はないと思います。
もちろん、人の食べる肉になる定めであったことに対して、かわいそうだなと思うことは自由です。
そう思いつつ、しっかり食べるのも自由です。
ちゃっかり残すほうが残酷ですもんね。
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なぜこんな内容の記事を書こうと思ったのかと言うと、きっかけは少し過去にさかのぼります。
中学生のとき、牛を育てて出荷するまでの映画を見ていると、妹が夕食で肉を残して捨てたのに気づきました。
妹は「いただきます」と言っていたので、感謝してたのは表だけで、本当はなにも感じちゃいない。
牛がかわいそうだ、と泣いたことを思い出したからです。
ボクたちは、常に【死】を恐れている。
そのはずなのに、なぜか【死】に感謝している。
おかしいと思いませんか。
あなたはなぜ「いただきます」と言っているのですか。
ボクは、母親や生産者さんへの感謝を実感する自己満足ために言っています。
肉にはとくになにも感じていません。
食事ごとに悲しい気持ちになっていたら、ボクが死んでしまいます。
大事なのは死んでくれたことに感謝することでもなく、人間を責めることでもなく、できる限り残さないこと、
でもなく、ご飯を残しても問題ないほど豊かで平和な日常が異常であるということを意識しておくことです。
いつか世界中でご飯を残すのが当たり前になることを願います。
以上、なんちゃって啓蒙でしたm(*_ _)m