なにもできなくて当たり前な人生
なんで自分ってこんなにできないんだろうって
そんな感じの病み方をあんまりしたことが無くて
それは何故か。わたしの人生を振り返ってみたら
結論:
自分は、なにもできないと気づくのが早すぎた
幼稚園で先生に教わった折り紙をわたしだけ
折れなくて、先生含めみんなに置いてかれた。
その時、初めて自分は周りより劣っていると、
気づいた。その瞬間から自分は落ちこぼれ。
小学校のテストは勉強しなくても高得点が
取れると言われているのに勉強できなくて
夏休みに補習呼ばれたとかダンス踊れなくて、
ピアニカができなくて、英語ができなくて、
掛け算ができなくて、周りが大体できることが
誰よりもできなくて、ある日補助教員が私の隣に
付いたときも絶望した。音楽の先生に不器用な子
だと言われた時も、自分ってこういう人間なのか
幼稚園に通っているときから、もう既に、
自分は、なにをやってもできないと、知った。
全て、全て、昔からできなくて、辛くて、辛くて
劣等感しか無かったけど、努力を知らない。
恐らく、そういうことが幼少期から染み付いてて
できなくて当たり前。
頑張れなくて当たり前。
努力したいとも思わないし、
努力しなくても、頑張らなくても
生きていけるって知っているから
なにもできなくても、強く生きた。
だからこそ、今更
深くは悩まないのではと思った。
いきなりですが、話と全く?関係ないのですが
わたしは、生まれながら心臓病です。
幼い頃から、自信がなかったのかもしれません。
それもあってからなのか、なにもできないことが
当たり前みたいになっていたのかもしれません。
ただ、なにもできないのは努力していないから。
結局、甘えなのは分かっています。
かと言っても、あのとき、あの瞬間に、、、
折り紙が折れるように練習していたら、天才に
なっていたのかって考えると、折り紙が
折れなかった時点でもう、人生ハードモード。
何もできなくて辛いはあるけど
悔しいという感情がない。
今からでも変わりたい
そう思えないのは、なにもできなくても
強く生きてきたから。
自分は、なにもできないと気づくのが早すぎた
後回しにしてきたことが全て帰ってくるときが来る
そのときに考えればいいし、なにか、あれば死ぬ
という選択肢もある。気楽に生きていこう。
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