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アートの「わからなさ」を味わう


会社から毎年3日支給される夏季休暇を1日使ったお休みの日だったがあいにくの雨天。

お休みの日なんて雨の日よりも晴れの日の方が良いに決まっていると思う。しかもよりによって台風が来るとは。でも台風の日にわざわざ出社しなくて済んだからラッキーと思うことにした。

雨が強くなったり弱くなったりしているのでなんとか出かけられるでしょ、と考えることにして簡単なカメラバッグの装備を整えてお出かけ。

カメラは新しい相棒Nikon Z30と。



清澄白河の東京都現代美術館を訪れた。
最近は街路樹やその辺の植物を撮影するのにハマっているので道中の被写体には困らない。


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東京都現代美術館(MOT)


なんやかんや東京都現代美術館には毎月のように足を運んでいる。他によく行くのは森アートと新国立美術館と21_21。

美大時代は「デザイナーはインプットしなくなったらおしまい」と散々言われて、それから今日まで定期的に美術館に行くのはライフワークになっている。

今でも現代美術館は行くたびに現代美術すぎる作品の数々に「う〜んわかんねえ!」となるのだけれど、最近はそれはそれで良いんじゃないかと思うようになった。僕たちが普段生きる消費社会において、一目でわかるものが増え過ぎてしまった。


大人になると「あーなんとなくそういうことね」と言った具合で経験知から答えを導き出してしまうことが多くなった。そうなると「わからない」には出会う機会がめっきり減ってしまう。だからこそその「わからなさ」にはすごく価値があると思っていて、よくわからないんだけど、それでも足を運ぶことをやめないでいる。

わからないことをわからないままにしておくこと。それは普段何かに出会った時にわかったふりをしない姿勢を醸成してくれる気がしている。



現代美術館は企画展もあればコレクション展もあって、全て回れるチケットは3,000円もするのだけれど、せっかくだからと思って3,000円払って全部回る。

結構敷地が広いので全部回るとかなり時間を消費するし普通に疲れる。

今回も存分に美術を味わうことができた。


あらかじめ配られた発泡スチロールを自由に放り込むことによって来場者が参加する彫刻作品



工事現場の誘導看板を組み合わせた照明器具



作品鑑賞中の好きなタイミングでカードを読んでそれを必ず実行しなければならないミッションカード


白枠内にある小さな器に洋服ボタンを投げ込むゲーム性を伴ったインスタレーション作品


気づけば夕方になっていた。人によると思うけど僕は美術館は一人で回るのも好きだ。自分と作品で対峙できるというか。映画も人と行くのも良いけれど、一人で余韻に浸るのも好きだ。今回の野村和弘「笑う祭壇」という作品では白枠の中に小さな器が配置されていて、そこに洋服ボタンをひたすら投げて器にボタンを乗せるゲームという作品で、その器が非常に小さく、床の上には数千個くらいのボタンが飛び散っていたが器には一つも乗っていなかった。僕も数十個投げ見たけれど一向にゲームクリアできる気配がしない。これはどういう意味の作品なんだろうと黙々とボタンを投げながら思った。

器にボタンが乗るかどうか(人生で定めた任意の目標を実際に到達できるかどうか・人生の夢を叶えられるかどうか)は大した問題ではなく、あるいはそれが叶えられるかどうかは結果なので重視すべき要素ではなく、それを目掛けて実際の動作を繰り返すこと=生産性に価値があり、その熱中している限られた時間そのものが人生であり、充実なのだ、とか、そういうメッセージ性のある作品なのかな、とか思っていた。実際にはわからないけれど。



美術館を出ると雨は降っておらず、しかしほとんど夕方だった。幸い雨は降っていなかったので引き続きスナップ写真を撮りながら街を歩いて帰った。




植物のスナップ写真は写真集として計画中です。
よかったら見てみて下さい。


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