竹雀の甲冑を紹介してみる
初学者向けにわかりやすく甲冑の面白さをまとめた本って、全然みたことがなくて最初のころ苦労したなと思い、自分で書いてみようと思い立ちました。少しでも甲冑おもろいじゃんって思ってもらえたら幸いです。僕も記事を書きながら勉強していきたいと思います。
今回題材として扱うのは、国宝に指定されている「竹雀」という甲冑です。
我々雄山の作品シリーズの中でも、金具周りの繊細さ、竹と雀と虎を甲冑に飾ったそのテーマとのバランスが良く、特に人気の高い作品です。
画像は、雄山の模写を使って説明して行きます。(本物の写真は使えませんでした。。。)
竹雀ってなに?
正式名称
正式名称を、「緋糸威大鎧(竹虎雀金物付)兜、大袖付」(通称:竹雀の鎧兜)と言い国宝に指定されています。現在は、奈良県の春日大社に奉納されており、展示期間中は実際に見ることができます。
名前を分解してみると、まずは「緋糸威」
緋 -スカーレット- の赤色で編まれて(威して)いるという意味です。雄山でもそうですが、資料などでも赤糸と記載していることが多いです。
じゃあなんで正式には緋糸というかというと、赤色の染糸にも様々な種類があるからなんです。染める染料によって赤の色や経年劣化の色の変化が異なるため、分けるためにこの竹雀では緋糸と呼んでいます。
他にも紅で染めた赤糸や、スオウという古来より高貴な色として扱われる赤糸があります。日本で自生しているのは茜のみで、紅やスオウは国外から伝わったとされています。ちなみに、日本国旗の日の丸は茜で染められるそうです。
「大鎧」は、甲冑の変遷について書く時に詳しく話しますが、甲冑の形状の一つです。騎馬戦が主流だった平安〜鎌倉時代の戦いで多く用いられた形で、馬に乗って戦うための機能が備えられています。上から見ると正方形みたいな形になっています。
「竹虎雀金物付」はその名の通り、竹と虎と雀の金具が全身に施されているという意味で、竹雀と呼ばれる所以ですね。他にも、桐や藤、菊の花も金具の中に散りばめられています。兜・大袖付とは、結構欠損していてそれらのパーツがないものもあるためどっちも付いてるよという意味ですね。
甲冑の概要
甲冑の重さは兜だけで8キロ、総重量30キロ近くあり、現存する甲冑の中でも最も重いと言われています。馬に乗って戦う用の鎧とはいえ、金具をふんだんに飾り付けており、重さもあって戦うには不向きな甲冑です。
そう、この鎧は戦闘用ではなくプレゼント用として作られた甲冑と言われています。誰が誰に?という話は後述します。
ただ、馬に乗って戦うための備えは全てしっかり作られています。例えば、馬が走った時に肩の位置がずれないように、衝撃を吸収する逆板-さかいた-や、肩の部分が擦れないように肩上-わだがみ- の下にはパットのようなものを敷いています。
金具は竹藪に雀が散りばめられ、その数100羽。虎が竹の木の下で佇んでいる様子が描かれています。図柄は、百獣の王と百花の王である、獅子と牡丹の花がデザインされています。
何が面白いの?
そんな竹雀の鎧兜ですが、一体何がそんなに面白いのでしょうか。
残ってるのがすごい
まず、骨董の中でも室町時代の作品が大きな修復なく残っていることが貴重なんですね。糸がボロボロだったりするので、動かしたりすること自体があまり好ましくない状態なんですが、それでもほとんど当時のままの状態を維持している作品は多くありません。
甲冑には、当時の職人たちの最高峰の技術が用いられています。大将の身体を守るんですから、職人たちも必死に状況を想定して、設計していたことでしょう。なので、当時の技術がどのくらいのレベルだったのかがわかります。特に、この竹雀には彫金の金具がたくさん装飾されているので、彫金技術の高さについても議論が交わされるわけです。
また、胴体についている革の部分、絵韋-えがわ- と言いますが、この絵柄から当時のトレンドが読み取れたりします。絵柄によって、時代考証ができたりするわけです。
そういう意味で、こうした室町時代のものが当時の形で残っているのはとても貴重なんですね。
誰の甲冑なの?の謎
プレゼント用に作った甲冑だろうということはわかっているんですが、誰が誰にプレゼントしたの?って部分の答えは分かってはいません。
説として唱えられているのは二人いて、「源義経」説と「足利義満」説が挙げられています。僕としては「義満」説が濃厚だなとは思っています。というのも、まず源義経は平安後期に活躍した人物ですが、甲冑の形状としては南北朝時代の後期の甲冑ではないかと推測されていて、平安時代の形・技術ではないだろうと思っているからです。また、これほどまでの豪華絢爛な甲冑の製作には莫大な費用がかかるので、財力のある人物でないと製作を命ずることはできません。
足利義満といえば、日明貿易で有名ですよね。日明貿易で財を成したことで鹿苑寺金閣が建立されたことは知られていると思いますが、竹雀も同じような意図で作られたのではないかと思っています。
また、竹雀の奉納されている「春日大社」とは、義満は縁が深いのです。春日局-かすがのつぼね-という側室がおり(徳川家光の乳母とは異なる)、彼女は春日大社の社家の出だと言われているからです。
コンセプトの謎が面白い
なんで竹と虎と雀を題材にしたんだろう?と考える妄想が面白いんです。金具の周りに雀が紛れていて、全部で100羽いるそうです。そんな竹林の下で佇む虎はどこか猫みたいな丸みがありますよね。
雀は子沢山なので、子孫繁栄の願いが込められているとか、当時の日本人は虎を見たことがある人がいないので、伝聞によって大きな縞猫だと伝えられたので、猫をモチーフに作ってみたと言われています。
雄山の解釈としては、先ほどの日明貿易から妄想を広げています。
日明貿易では、明からさまざまな品が届きます。陶磁器なんかは有名ですね。水墨画もその中も一つで、禅僧の雪舟がこうして届いた水墨画の技法を真似て、国内でも水墨画の作品が生まれ始めます。
そんな水墨画の作品ですが、日本で人気になった中国の作家に「牧谿-もっけい-」という作家がいて、作品の中に「竹雀図」という作品があります。(現在は根津美術館に所蔵されています)
竹と雀を描いた作品でして、こうした作品をモチーフに金具が製作されたんじゃないかと考えています。虎は中国の動物で、陶磁器などでもよくモチーフにされて描かれます。そうした影響から、竹と雀と虎を金具のデザインに起こしたんではないかと考えているわけです。
あくまで一つの説でしかないんですが、こうした謎めいた部分が残るのが面白いんですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?大昔の作品には、ロマンがたくさん詰められています。甲冑を作る側からも、どうしてこういう作り方にしたんだろう?と悩ましくなる部分はたくさんあるんですが、今回は割愛します。
竹雀の魅力が少しでも伝わればいいなと思います。
最後にちょっとだけ宣伝ですが、雄山の竹雀はそんな実物の竹雀をスケッチして、1/3,1/4,1/5(1/6)のスケールで模写した作品を五月人形として展開しています。春日大社に行くと、「おお、うちにあるのと同じだ!」と感動していただけるように忠実に再現しましたので、ぜひ併せてチェックしていただけると幸いです。
以上
<参考文献>
日本甲冑100選 - 山上八郎(秋田書店)
日本の武具甲冑事典 - 笹間良彦
茜染め -Maito Design Works
染めの色と植物 - 国立歴史民俗博物館
【春日大社展】四領揃い踏み - 東京国立博物館
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