心の準備をやめてみた

ゴールデンウィークの初日に好きなバンドの新曲のMVが公開された。私は何も考えずにーそう敢えて書くほど本当に何も考えずにー再生した。それは閉鎖的な空間で演奏する姿が印象的な映像で、限られた「できること」を謳った歌詞と相まって、コロナ渦を連想させた。けれど、その曲が表しているものは信じ続けることの尊さであって、コロナ渦の状況と重ね合わせる要素は少なかったように思う。少しだけ信じることに疲れていた私は、その曲を聴きながら、忘れかけていたものを思い出したような懐かしさと新曲を聴けた嬉しさの狭間で、必要以上に「コロナ渦」を意識していた。

気づいたら、泣いていた。感動というよりは、コロナなんて無い世界でこの曲を聴きたかったという悔し涙に近かった。涙を誘うような演出があるわけでもないのに泣いてしまったのは、曲の良さを真正面から受けとめられていないからだと思った。透明でまっすぐな曲を何層もの現実のフィルターで不透明にしてしまっているようで、自分を責めたくなった。完全に、目に見えないウイルスに振り回されていた。

でも、涙が止まって、落ち着いてその曲を聴けるようになった頃には少し前向きに考えられるようになった。

あの時、私は心の準備をせずに曲を聴けたのかもしれない。

最近はどうしても心から音楽を楽しむことができなかった。不要不急を意識しなければいけない世の中で、自分の好きなものは真っ先に切り捨てられる気がしていた。ただでさえ行けなかったライブを忘れることで精一杯なのに、曲を聴くたびに思い出すのはライブのことで、そのたびに感染者数を伝えるニュースやもっとリアルな現状が頭をよぎる。それでも、せっかく見つけた自信をもって好きと言える音楽を聴くのはやめたくなかった。そんな一年に及ぶ葛藤の末、いつの間にか身についた自己防衛術の一つが、心の準備を入念にすることだった。

曲を聴く前に深呼吸。行けなかったライブのことはその時に考えるようにした。そしてそれがどれだけ贅沢な考えであるかを自分に言い聞かせる。すると、自然に目の前の音楽に集中できる。

でもあの時は違ったのだ。予定のない連休初日に、うっかり何も考えずに再生してしまった。コロナ前と同じように、心の準備をしなかった。

どちらが良いのかはわからない。でも涙を流した後はいつもとは違うすっきりとした気持ちになれたし、この曲がコロナ禍でも支えてくれたという事実がより鮮明に残った気がする。何が起こるかわからない明日がある、心の準備で忙しい毎日の中で、自分の好きなことをするときくらいは油断していたい。

だから、これからしばらく心の準備をやめてみようと思う。

今日は大好きなバンドのオンラインライブ。行けなかったライブへの未練たらたらで、心の準備なんてできていない。涙が現実を連れてきて、曲の良さを洗い流してしまうかもしれない。それでもいいのだ、きっと。隙だらけの私で音楽を楽しもう。コロナを知る前と同じように。

ふと、ライブのMCで「心の準備はいいですか?」と訊かれたらどうしようと思った。でもまぁライブの時は心の準備をしたって結局涙があふれてしまうから、そんなに気にすることもないか。

XIIX / アカシ

この記事が参加している募集