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Vol.21 誤りは謝る
ご覧いただきありがとうございます!
以前のノートで「意見の不一致を歓迎せよ」といった記事を書かせていただきました。
リンク : 「意見の不一致を歓迎せよ」
https://note.com/yujis_yryrip/n/nd74b86f5205e
この記事の中にも書かせていただきましたが、私はついこの間、妻さんと共同生活を始めました。
育ってきた環境が異なる2人が共同生活となると、お互いが常識(だと思っていること)の違いから、意見が食い違うことが頻繁に発生ます。
これまで「正しかった」と思っていたことが「実は間違っていた」、「合理的に考えるとお相手の考え方のほうが真っ当」なんてこともよくあります。
例えば最近ですと、こんなことがありました。
(妻さん)われは海の子って歌知ってる?
(私)あー、確か小学校時代に歌ったような→(歌詞を口ぐさむ)
(妻さん)何番まであるか知ってる?
(私)3番だっけ?そこまでしか習ってないしー。
(妻さん)実は7番まであってね、4番以降の歌詞は、、、(→続きはGoogleでお調べください)
(脈絡もなく、こんな例ですみません😅 けっこう記憶に残っていたので書きました。)
些末なことかもしれませんが、どんなことでも、誤りに気付かせてもらえる存在がいることはありがたいなぁと感じます。
(どっちも間違っているといった可能性もありますが笑)
そのような日々を過ごしておりますと、次の疑問が湧いてきます。
自分が間違っている時や誤っている時は、どんな対応に陥りがちになるか
逆にどんな対応をすればお互いにとってメリットとなるか?
この疑問を着想点として「自分が誤った時の対応」について以下、書かせていただきます。
●誤りに対する2つの対応
自分が間違いが判明した時、皆様はどのように対応されますか?
大きく2パターンに分かれるかなと思います。
①誤りを認めず言い訳をする。もしくは自身の誤りの正当化を行うために補強する情報を探す。
②誤りを素直に認めて謝る
①は咄嗟だと出てしまいますよね...(人間だもの)
自己を傷つけることなく、自己の価値を守ろうとするために、防衛に入ります。
確証バイアスにも近いです。
確証バイアス:
無意識のうちに、自分の考えを補強するような情報ばかりを探すこと
自身の主張を守り抜くことによって、自尊心が傷つくことなく、相手よりも優位に立てたといった感覚が残ります。
というより、そういった感覚に陥り、見せかけの承認を受けることができます。
そのため、短期的には胸がすくかもしれません。
しかしながら、長期的にはデメリットしかありません。
例えば、人間関係の崩壊や自身の知的レベルの停滞・低下に繋がります。
「嘘をついた」といった気持ちを引きずる可能性もあるため、メンタル面に対しても悪影響を及ぼしやすくなります。
誤りを直さない限り、その誤りから問題が起き続ける可能性もあります。
②は、誤りを認めることへの勇気が必要です。
意固地にならずに「私が間違っていました」といった一言さえあれぼ、予想以上のメリットを享受できるかもしれません。
(言うは易し、行うは難しですが😓)
例えば、
・他人からの信頼に繋がる
・罪悪感を感じずに済む
・自己防衛の緊張がほぐれる
・誤りから生じる問題の解決に役立つ。もしくは問題が生じることを前もって防げる
・相手も誤りを認めやすくなる
です。
よくよく考えると自分が間違っていることって、恐らく自分が思っている以上に多いと思っております。
誤りを指摘された時には咄嗟に自己防衛に走っていることもあるなと反省です😓
「誤りを謝る」という初めの1歩目さえ乗り越えられれば、両者の心地が良くなるコミュニケーションに繋がりそうですね。
自分が誤っている場合には速やかに誤りを快く認めて謝ること、そんな人間目指したいなと思った最近です。
今日もご覧いただきありがとうございます😊
補足:
中には、相手が誤っていて、自分が正しい時もありますよね。
その時には、相手の自尊心を傷付けないために、直接的に誤りを指摘することだけはしないようにし、穏やかに対話をしていくことを心がけております。