趣味でディレクション
最近、とある本を読んでいる。
広江克彦氏の著書で「趣味で物理学」というもの。
内容は、ニュートン力学・電磁気学といった古典力学を中心に書かれていて、著者の人柄が想像できるような口調、書きっぷりに親近感が湧く。数学が得意な中学生なら、興味を持って学べる内容になっている。
そしてタイトルも素敵だ。
・趣味:好きなことを気軽に楽しむ
・物理:自然界の理を説明する小難しいもの
レトリック的にいうと撞着のような表現が使われていて、ハッと目にとまる。
たまたま見つけて読んでいるが、今回、僕がnoteに書こうと思ったのは、古典力学の話ではない。この本のタイトルにもある「趣味で◯◯」を使って、自分のやっている仕事を説明するとしたら、一体どんな内容になるのだろうか?ということ。
テーマはディレクション
そこで考えた。
IA、UXといった自分の主戦場について書くのではなく、あえて苦手なディレクションをテーマにしてみよう。苦手なことだからこそ、このnoteを書くことで気がつくことがあるかもしれないし、何より自分の勉強にもなる。
もし趣味でディレクションという本を書くなら、その中身はどんなものになるか。自分が一番伝えたいことはなんだろうか?
そのあたりをまとめてみたい。
一番伝えたいことはなんだろう?
頭の中を整理するために下のようなフローを描いた。趣味でディレクションの想定読者と、この本(がもしあったとする場合)の目的だ。おそらく、正攻法のアプローチで考えていくと、次のような構成になるだろう。
読者:ディレクター候補生、ディレクターを志している人
目的:ディレクションとは何か?その概要と基礎を伝える
ディレクションの定義とは何か、何をどこまで担当するのか。ディレクターの役割とは何か、プロジェクトにおける立場と求められるスキルとは。ディレクションの魅力とは何か、散らばった課題をどのようにこなしていくか、etc。
これはどれも必要なことだと思う。
でも、イマイチぱっとしない。
ぱっとしない理由は明らかだ。僕はディレクターという職種、その輪郭を説明したいのではない。現場でチームを先導する泥臭い役回り、そんなディレクション業務の中身について、どんな切り口で文章にすることが適切なんだろうか、そこがまるっきり抜けている。
そこで、こう考えた。
実は失敗こそ、泥臭い話しの宝庫であること。
そして、失敗の中でも、メンバーの士気にマイナスの影響を与えるダメな行為があること。この切り口でディレクションに迫ることが、一番伝えたいことへつながる近道な気がするわけだ。
現場の士気は基本の基
士気(≒やる気、意欲、熱意、熱量)は、とても大切だ。特にチームで何かをする場合、全体の士気をどのように高めるか。プロジェクトの成否はこの一言に集約されるといってもいいだろう。
実は、ゲームの世界でも士気という概念があったりする。
KOEIの三国志14。上の図は戦闘のシーン。戦闘では、各部隊ごとに士気というパラメータを持っている。士気が0になるとその部隊は散開するし、単に兵数が多くても、士気が低い部隊はとても脆く格好の餌食だ。
戦闘の有利不利は、プレイヤーの率いる部隊の士気によって展開が変わる。そのぐらい士気は重要な要素だ。
同じことが開発現場でも言える。プロジェクトの成否に士気は密接に絡んでいるし、良いディレクションとは、この現場の士気をどのように維持していくか。ベテランディレクターは、士気を底上げするために、緻密に練られた行動を取っているように思う。
現場の士気を下げるディレクターの行為:5選
そこで、ディレクターじゃない僕が考える「現場の士気をだだ下がりさせるディレクション」について、自分の経験を踏まえて書き出してみた。おおよそ次の5つが該当するはずで、ディレクターと一緒にプロジェクトに参加している現場のエンジニア、デザイナーなどは「確かにな。」とわかってくれると思う。
細かすぎる指示出し
1つ目。プロジェクトメンバーのすべての動きを事細かに把握し、今日は何をどこまでやったのか確認したり、完成前の途中経過に、今はまだ必要ない指示を出してくること。
これってやられたほうは分かると思うが、「あ、このディレクター、自分を信頼してないんだな」と感じてしまう。仮に自主的に進めても、ディレクターから待ったがかかる可能性があるから、生産的な行動は控えようという心理が働いてしまう。細かすぎる指示出しは、ストレス以上の何者でもない。
大事な局面で戦わない
2つ目。どんなプロジェクトでも、クライアント側、制作側の双方が、一同に集まってミーティングする場面はあると思う。そんな時、制作の陣頭指揮を取るディレクターに対して、お客さんが無茶な要求を出したり、あわよくばねじ込んでしまおうという大人のボクシングが始まる瞬間がある。
ディレクターは、現場チームの統括者として「できること、できないこと」をしっかり伝えたうえで、できないことは安請け合いせず、なぜそれが難しいか?時には断固戦う姿勢を持って望んでほしい。中には御用聞きのように受けに徹するディレクターもいるが、これはクライアントにとっても、現場チームにとっても、両方が不幸になる一歩手前だ。
責任転嫁
3つ目。何かの事情で期日までに開発が終わらないとか、予定通りのものに仕上がっていないとか、不測の事態は往々にして起こり得る。もちろん、クライアントからは壮大なツッコミが入るだろう。そんな時、なぜできなかったのか理由を調べ、うまくいかなかったことは誰々に原因があったと、クライアントへ説明・謝罪したとする。
クライアントからの評価や自分の面子を守るために、ディレクターが現場チームの誰かをやり玉に上げてしまうとチームの士気は大きく下がる。この先導者のために、何か自分ができることはないか?と先回りしてコミットする意欲が激減する。
達成事案を評価しない
4つ目。現場チームの設計者がある画面を作り始めた。数時間後、進捗を尋ねるとわずか1、2枚のラフしか出来ていない。同様に、エンジニアが何かの機能を作り始めた。こちらもまだ動きの伴うものが見せられないという。
そこで、ディレクターが達成状況を危惧し「もっと速やかに進めてほしい」というようなことを言おうものなら、関係に亀裂が入る。
その1画面、その1つの機能を作り出すのに、全体への影響度、部分的な最適、統制の取れた堅固な仕組みについて、どのように考えるべきか。設計者やエンジニアは常に思考をめぐらしている。成果につながるものを思考している彼らにとって、「もっと速やかに進めて」という言葉は、何も評価をされていないと絶望を感じる一言だ。
公開批判
5つ目。全体の共有会や、クライアントも交えた会議の中で、ディレクターが使ったら駄目な禁句があると思っている。その言葉は、現場チームの士気を著しく下げるもので、捉え方次第では屈辱的なダメージを与えてしまう、取り返しのできないものだ。
・ここ、なんで直ってないんですか?
・これって、自分が伝えていた内容と違いますよね?
・この議事録に書いてますよね、読んでますか?
挙句の果てに「修正対応は今日中にできますか?」。
このあたりの言葉が出てきた瞬間、意欲のかけらもなくなる。
もちろん、現場チームに抜け漏れがあったり、同じところを何度も間違えているなど、非が設計者やエンジニア側にある場合もあるだろう。そうだとしても、統括者として、会議の場での立ち振舞を考えた時、上のような言葉は公開処刑と何ら変わらないわけで、個人的には禁句だと思っている。
もっと書きたいがここまで
と、ここまで書いてきて、あっという間に3000文字を超えた。
僕がディレクターじゃないから、もう好き勝手書けるかける。
それでも、一番伝えたい「士気」について、一通りまとめることが出来たのでここまでにしよう。
ディレクターは、この5つと真逆のことをやれば、比較的、その現場の士気は安定する(はず)と考えるが皆さんいかがでしょうか。