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再現性と平準化の境界、そして狭間

企業が着実に成長し、大きくなる過程で直面する課題がある。それは高い能力を持つ一握りのアウトプットを、どのように再現できるか?ということだろう。

個人に依存しているノウハウを、組織全体に共有する方法を見つけることは、企業の成長を支える上で必要不可欠だ。俗に言う「暗黙知」を「形式知」にしていくことは、いつか一握りの人が辞めた後でも、同程度のサービスを提供できることにつながり、生存戦略としても間違ってはいない。

しかし、コンサルにしろ、クリエイティブにしろ、個人の資質という「土壌」に根が張られた才能であるほど、こうした平準化は困難を極める。

例えば、一般的に創造性豊かなアウトプットは、平準化する過程で品質とのトレードオフの関係になっている。さらに効率という事象も重視するとなると、もはや荒業以上のなにものでもない。

そう、一筋縄ではいかないのだ。

最近、ずっと悩んでいること

「鈴木さんがやっているような上流の領域は、平準化がとても難しいんですが、だからこそ、それがある程度でも形にできたら価値があると思うんですけどね。」

とあるディレクターの言葉

これは、僕が作るアウトプットに一目置いている(はずの)とあるディレクターの言葉だが、以前、noteで話したビジュアルシンカーの自分にとって、絵になっているものを平準化の過程で言語に置き換え、細部まで説明するには限界がある。

※ビジュアルシンカーについてはこちら

さらに、自分と同じ品質のものを、効率よく仕上げられるのは、結局、自分以外の何者でもないと考えている節がある。そして、忙しさにかまけて人を育てることを放棄してしまっている。

これではいけない。
会社の仲間が増えてきた今だからこそ、考えなければならない。

顧客に向き合い、日々、課題解決する立場の人間こそ、自分の持っている暗黙知を平準化することで、自身は次の新しい課題に向き合えるというものだ。一握りの存在がアウトプットするものを、いかに再現していくか。さらに、それを組織全体で使えるように平準化するにはどうしたらよいか。

僕にとっては永遠の課題であって、同じような気持ちで悩んでいる人も多いのではないかと感じる。卓越したノウハウの一般化。壮大なテーマなので、とても1回のnoteでまとめられる自信はないが、書くだけ書いてみる。

再現性の価値と挑戦

まずは話の発散を抑えるために、とある営業シーンを考えてみる。顧客から相談依頼が届き、ヒアリングの結果、提案書を作らなければならないとする。

僕は、提案書というものは思考の結晶だと考えている。

筋の良い人が作るもの。
考えが至らない人が作るもの。

ここには雲泥の差が出る。
この差を埋めるために、こんなことを考える。

「受注率(成約率)の高い社員の手法を真似して、同じ雛形で営業させよう」

一見すると理にかなっているが、とても無駄な試みだ。

一昔前ならそれでよかった。実際に僕が働いていた会社でも、提案書を一から作るのではなく、大事な部分をパーツ化し、それを組み合わせる形で仕上げていくということを試みていた。そして一定の成果があったのも事実だ。

でも、現代は全く違うわけで、顧客が直面する課題は千差万別。
規模も種類も異なるニーズに対して、"テンプレート"で対応するのは土台無理な話なのだ。

となってくると、一握りの人が持つ創造性や独自の洞察力に焦点があたるわけで、この観察眼をどのように平準化するか?という話になってくる。

僕は、この観察眼のことをメガネと呼んでいるが、このメガネの廉価版をどのように作って分け与えるか?ということ。これが再現性への第一歩となるはずだ。

卓越した結果を出す人の行動分析

このメガネをうまく使うことで、一握りの人は他者が見えないものを感じ取っている。今回のような「顧客からの相談依頼」というシーンでは、以下のような行動を取ることで、他とは一味違う独自の解法を考えるわけだ。

まずは課題の捉え方

顧客が相談してくるということは、何か困っていたり、求めていることがあるなど、現状をどうにかしたいという願望を持っている。(※何も願望がないのに、相見積りのために依頼してくる場合もあるが、ややこしいので今回は考えない。)

それに対して、上述した"メガネを掛けた人"は、この課題を多角的に捉える能力が極めて高い。「ただの視点の違いでは?」と思われそうだが、そうではない。僕はそれをこう考える。

・課題を隅々まで見ようとする広い視野
・相手の立場に立って物事を考察しようとする深い視座

この2つから洞察(insight)を得る力だと思っている。

この洞察力については思うところがあり、

・高学歴のコンサル出身の人が、
・ロジカルシンキングのフレームワークを使い、
・言葉巧みに課題を整理していく。

よく勘違いされること

ことと勘違いされる。こうした人が特別に持っているものが、僕のいうメガネだと思われるかもしれない。

それは見当違いであって、そんなゴマ粒のような話ではない。

メガネとは、エンジニアの技術的な視点、デザイナーのクリエイティブな視点、もしかしたら、小さい頃に培ってきた"個性"のようなものも該当するかもしれない。

つまり、自分なら顧客の課題をどのように捉え直すのか?ということがメガネの役割であって、それは、「自分を信頼し情報を預けてくれたら、そこから物事の本質にどのように迫ろうとするのか?」ということと同じなのだ。

ここが大事なのであって、決してフレームワークをうまく使いこなすスキルのことではない。

ニーズの顕在化と掘り下げ

こうしてニーズを捉え直すことができたら、そのあとすぐに、自信をもって解決法(≒アイデアの種)を導き出してよいのか?

それは、とてももったいない。
麻雀に例えると"手筋"が間違っている。

そのニーズが本物かどうか?
健全な猜疑心で疑ってみること、これが大事だ。つまり、

「顧客が解決したい悩みって本当にこれ?」

というところがズレていないかどうか。
ここがズレていると見当違いの方向に進んでいく。そして、時間をかけたのに、全く成果に繋がらないドキュメントが構成される。

a.顧客がわかっていて、自分も理解できているニーズ。
b.顧客が気づかず、自分だけが気づいているニーズ。
c.まだ明らかになっていない未来に向けてのニーズ。

本当に悩んでいることはなんだろう?

メガネを掛けた人は、この識別をいとも簡単に行う。
僕の感覚だと、

・aだけだと失注する。どの会社もそれは提案する。
・bも及第点。「あ!なるほどね」で終わってしまう。

大事なのは"c"にある。自分のメガネで見えた景色を示し、
「(気づいていないかもしれないけど)進むべき方向はこちらにある」
ということを自信をもって伝えなければならない。

ここに砂金のような価値がある。
それは他社との差別化を図るための第一歩につながる。

ドキュメントの質と表現

上記の2つが捉えられたら、実は、提案書の要はすでに終わっている(※内容にもよるけど)。あとは、人の心に訴えかけるような資料に仕上げるのみだ。

大手の会社になると、自社独自のフォーマットが決まっている。
色使い、文字サイズ、レイアウトなど、すでに固有の形式がある。

それを使うことは、単に体裁が整うということであって大事なことではない。
それは誰もができて当然だ。

大事なことは「捉えた課題」と「本質的なニーズ」に対して、自社が関わることで顧客をどのような状態にしていくのか?ということ。それを伝えて、相手の心を撃ち抜くためには、自分の考えの表現技法≒言葉の選び方が大事なのだ。

有名なプランナーのように、高度なレトリックを使いこなせる必要があるのかというと、それとも違う。求められるのは言語化のスキルであって、さらにいうと可視化のスキルだ。

よく、提案書や報告書で、同じ意味の言葉を別の表現で繰り返しているものや、本来は棒グラフにすべきものを円グラフにするなど、表現として間違ったものを見かけることが多い。これは論外だ。

あくまでも正しい国語を使って、言語と図示で情報を適切に伝えること。
この1点に尽きる。※グラフの正しい使い方については、僕の手書きノートにたくさんまとめてあるので、どこかでnote化して公開しようと思う。

異なるステークホルダーへの伝え方

こうして出来上がった提案書だが、ちょっと考えたら分かる通り、資料の中身を一言一句丁寧に説明することはまずない。受け手の立場、彼らの思惑、理解できる言語はみんな異なるのだ。

このようなステークホルダーに対して、その立場に応じた課題解決の方法論と、得られる成果を端的に伝える能力が求められる。

これは、自身が伝えたい情報を「翻訳」する作業であり、IAとして鍛錬を積んだ者の方が、実は意識せずにできるものと考えている(間違っているかもしれないが…)。

例えば、下記の美しさと比率の話でも、これに近しいことを書いた。このレイアウトやデザインにしている理由は?と尋ねられて、「黄金比だから美しい」という答えは回答になっていない。中身がなく、翻訳に失敗している良い例だ。

大事なことは、向き合っているステークホルダーが、それぞれ別の尺度でもって本件を捉えているということ。ここを理解していないと、良い交渉にはつながらない。

少しだけ考えてみる。

役職が異なれば時間に対して持つ意識は当然違う。現場担当者にとっての1時間と役職者の1時間は、一日の過密さも、対応している内容も全く異なる。

さらに言うと、彼らが会社から課せられている成果についても別次元だ。デジタルマーケティングの案件が良い例だろう。担当者レベルでは、年間の広告予算を使って、いかに数値目標を達成するかという部分に焦点が当たる。一方、部門統括や決裁権者になると、会社に上申した年間予算の消化具合と達成状況、ひいては、今後の進行にあたっての予算の増減額、場合によっては運用会社の再選定など、明らかに広い領域で責任を負っている。

このような背景を理解しないまま、作ってきた資料を念仏のように説明したとする。これでは負けが確定している。とある経営者の方が言っていた言葉だが、「高尚な理想を門兵に説いても、彼の心が動くことはない」のだ。なぜなら、翻訳が間違っていて、それは理解されないのだから。

まとめたいのだが…

今回は営業の提案書作成というシーンに限って、暗黙知を平準化することを試みた。これら1つ1つは、僕がこれまで経験してきて、特に大切だと感じているものを見える形に置き換えたものなのだが…

こうした要点を教育したとして、果たして再現性というところまで昇華できるのか?という疑問が湧いてくる。結局のところ、僕の使っているテンプレートの使いまわしみたいな、各論に落ち着いてしまいそうなので、考察の仕方を考えないといけない。

このテーマは壮大すぎるので、続きはどこかで書こうと思う。

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