私が占い師になったワケ(闘病記⑧生まれて初めての大学病院 25歳~28歳)
2002年12月2日。
私はどうしても自分がどうしてこんな病気になったのか。
どうしても自分の病名を知りたかった。
治療法は他にないのか。
今後、病状はどのように進化していくのか。
とにかく知りたくて知りたい一心から紹介状も持たないまま、都内で有名な大学病院の門を叩いた。
テレビに出演していた先生に診てもらいたかったからだ。
病院内が混雑していたと言うこともあり、看護師さんから「今日はレントゲンだけ撮ってお帰り下さい」と告げられる。
もちろん紹介状を持たずに病院へ行ってしまった私も悪いが、「とにかく足が痛くて夜も眠れないので、今すぐに診察をして欲しい」と看護師さんに伝えたが、「診察はどんなに早くても1か月後になります」と言われるだけだった。
私は渋々承諾し、年が明けると真っ先に大学病院へ向かった。
大学病院は相変わらず混雑しており、5時間待ちで診察室へ入ったと思ったら開口一番、整形外科の先生は「なんでもっと早く来なかったの?」と言った。
私は先月、病院へ来たがレントゲン写真しか撮ってもらえず。
診察は1か月後の予約になってしまったことを伝えると、テレビにも出ていた有名な先生は一言。
私のレントゲン写真を見て「白血病かもしれない」と言った。
次に疑われるのは、足の骨の結核らしく、とりあえずMRI検査をすることになった。
とは言えども、すぐに検査が受けられるわけではなく、MRI検査の予約が取れたのは、診察日から2か月後の話だった。
それでも私は検査を受けることにした。
おそらく初診でかかるまでの間、酷い激痛に襲われていたので、たった1か月くらいで、右足の骨は随分と融けてしまい、崩れ落ちてしまったのだろう。
この頃の私はまだありとあらゆる可能性を視野に入れ、検査をしてみることで何かがわかるのではないか、と思っていた。
やるからには徹底的に自分の病気の原因を知りたいと思い、整形外科の主治医の指示により、大学病院内のリウマチ内科を始めとし、耳鼻科、口腔外科、眼科など。
ありとあらゆる科を受診した。
しかしどの科を受診しても、医師たちは口をそろえて「よくわからないな」と言って首を傾げた。
ちなみにこの時のMRI検査でも原因は何かわからなかった、と当時の日記には記されている。
大学病院でもわからないのだから、きっと私の病気はどこの病院へ行っても誰にもわからないのだろうと。