きみとぼくは、感情の容量がちがう。
例えば、「好き」という感情について。
「好きだよ」と言えば、「好きだよ」と返してくれる。
「好き?」と訊けば、「好きだよ」と肯定してくれる。
それだけで充分だったはずなのに、やがて満足に思えなくなって、「どれくらい好き?」とか「本当に好き?」なんて訊いてしまう。
「大好きだよ」と言われても、そうじゃない、言葉なんかじゃなくて、もっと心で感じたくて、もっと好きになってほしくて、けれどちっとも感じられないから、本当は好きじゃないんじゃないかって、ぜんぶ嘘なんじゃないかって思えてきて、そうしていつしか、何もかも信じられなくなったりする。
そんな経験があなたにもあるかもしれない。
例えば、好きなミュージシャンについて。
僕はHello! Projectのファンで、少なくとも1日に1時間はハロプロの音源や映像に触れる生活を毎日送ってる(10時間の日や、20時間の日だってある)。
コンサートにも行くし、ファン仲間と集まって映像の上映会を開いたりしてる。
それでもまだ飽き足らず、もっとハロプロを応援したくて、もっとハロプロに貢献したくて、メディアで定期的にHello! Projectの魅力について記事を書いたりもしてる。
この前、友人がこんなことを言った。
「そんなふうに夢中になって、行動したいと思える対象があって、うらやましい」
どうして?
君にだって好きなバンドのひとつやふたつ、あるでしょ?
そのバンドに何か貢献したいって思わないの?
友人は「思わない」と言った。
そのバンドのことは好きだし、応援してるつもりはある。
けれど、CDを買って、たまにLIVEへ行って、それで充分。
それ以上なにか行動に移そうという気は起こらない、と。
かたや、僕はまだまだHello! Projectへの応援が足りてないと思ってる。
文章を書くことしか取り柄がないから、記事でハロプロの魅力を普及することくらいしか、僕にはできない。
僕にもっと時間とお金があったら、もっと行動力があったなら、過去のCDやDVDを全部集めたり、グッズを買い占めたり、全国ツアーも海外公演も全て観に行けるのに、と思う。
つまり、「感情の容量」が違うんだ。
「応援」というグラスが、CDを買って、たまにLIVEへ行って、それで満杯になるサイズの人もいる。
僕のように、メディアで記事を書いていても、まだまだ満杯にならないサイズの人だっている。
恋人と週に何度も会いたい人。
恋人と月に一度会えれば満足な人。
両者は「好き」という感情の容量が違う。
週に何度も会いたい人には、月に一度会えれば満足な人の愛情が希薄に感じてしまう。
月に一度会えれば満足な人からすれば、週に何度も会いたい人の気持ちが文字通り「重い」と感じるだろう。
どちらかが良くて、どちらかが悪いわけじゃない。
ただ、僕らは違う、ということ。
それを認め合うこと。
そうして、二人にとっての新しい形を、二人で見つけること。
もしも、あの頃の僕がそれを知っていたなら。
もう少し君に優しくなれていたなら、僕らには違う未来があったのかもしれない、と思う。
腕まくら
されて夜空を
見上げても
あなたは違う
星を見ていた
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