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『自分の仕事をつくる』西村佳哲 感想
内容を紹介
働き方研究家の著者が、さまざまな「いい仕事」の現場を訪ね、インタビューした内容および、そのインタビュー内容を踏まえての著者の考えが書かれている。
「仕事とは何か」「いい仕事とは何か」「自分の仕事とは何か」「仕事と環境の関係」などについて、自分なりに考えてみる上でのヒントをたくさん得られる。
これらについて明確な結論が書かれているタイプの本ではないので、正解を提示してもらうような期待をして読む本ではない。そうではなく、あくまで「自分で考える際のヒント」、これが得られる。色々なインタビューを読むことで。
感想
まえがき
インタビューも勉強になったのだけど、僕は「まえがき」が最も印象に残っている。
以下、僕なりのまえがきの要約。
私たちは数え切れない他人の「仕事」に囲まれて生きている。
「こんなものでいいでしょう?」という仕事は、ボディブローのように自尊心を傷つけてくる。
逆に丁寧に時間を掛けられた仕事は尊重されていると感じ、自然と感謝したくなったり、笑顔になれたりする。
つまり、働き方が変われば世界が変わる。
確かに、言われてみるとそんな感じがする。
「こんなものでいいでしょう?」という仕事で作られた物、たとえば、安く最低限の品質で大量に作られた物は、使う側としても丁寧に扱おうという気にもならず、乱雑に使っていく。機能的には必要十分な物ではある。だから便利な暮らしを安く得られるわけではあるのだけど、どこか暮らしが機械的になり、気分が殺伐とし、生き生きとした充足感が薄れていく。
逆に、丁寧に作られた物を扱うときは、こちらの気持ちも丁寧なものに整えられる。
あまりこういう意識を持ったことはなかったのだけど、本書を読み、言われてみればそんな影響が無意識レベルであるように感じられる。
海外で大量に安く作られた服を着て、食べ物を食べて、ガジェットを使う。見た目はオシャレで綺麗だし、スペック上の設備も整っているけど、実際に住んでみるとドアも壁も薄くて音は素通りだし設備も細かいところがすぐ不調になる賃貸に住む。
まあ、やっぱり、そういう暮らしに対する違和感はある。でも限られたお金を使いながら生きていかなければならない現実を前にして、そういうものたちに僕はお世話になりまくっている。
一方、自分で手間と時間を割いて作ったいびつな形の野菜を食べているときの充足感。本当は、こういう充足感のあるもので衣食住を固めながら、一度きりの人生を生きていきたい。それが理想。そして現実は、できる範囲でどうにかやっている、というところ。
資本を効率的に使い、必要な機能の物を安く大量に均一に作れる企業が世界規模に強くなるのが資本主義だけど、その片隅で、自分の仕事をして自分の物を淡々と作り、自分自身や他者へ提供し、感謝され、小さく暮らす、ということぐらいなら十分に実現可能であるようにも思う。資本主義の片隅で縄文的に暮らす、的な。可能な範囲でも、そういう暮らしを進めていきたい。
『パーフェクトデイズ』の平山みたいな人へのインタビューもあると嬉しかった
本書でインタビューに訪ねている方々は、デザイナー、プラモデル作り、パン作りなどをされている。つまり、モノづくりだ。そういう仕事を自分の会社、あるいはごく小規模の会社で行っている方々へインタビューされており、もちろんそれでも大変参考になったのだけど、そういう環境と仕事内容は「自分の仕事」として取り組みやすい、という面はあると思う。
全くタイプの違う人、例えば『パーフェクトデイズ』の平山みたいな人もインタビューされていると、より身近な例として自分事に引き寄せて考えやすいとは思った。
『パーフェクトデイズ』の平山が何者であるかを詳細に語り出すと長くなるので詳細はググっていただくとして、ざっくり言えば、築40年は超えていそうな木造アパートに住み、早朝から都内の公園を巡りながらトイレ掃除の仕事をしている独身中年だ。トイレ掃除といえば「やりたくないけどお金のために仕方なくやる仕事」の代名詞だけど、そんな仕事を平山は、まさに「自分の仕事」として取り組んでいる。平山はトイレ掃除という仕事を通して社会の中に自分の居場所を築き、自分の生活の張り合いとしている(ように僕には見えた)。
トイレ掃除を「自分の仕事」としてやり、なんだか毎日が充足していそうな独身中年。そういう人間が、映画の中だけではなくこの現実社会の中にも存在しているのなら知りたい。そして話を聞いてみたい。
好きな文章
仕事とは、社会の中に自分を位置づけるメディアである。それは単に金銭を得るためだけの手段ではない。人間が社会的な生き物である以上、その生涯における「仕事」の重要性は変わることがないだろう。自分が価値ある存在であること、必要とされていること。こうした情報を自身に与えてくれる仕事には求心力がある。あらゆる仕事はなんらかの形で、その人を世界の中に位置づける。畑仕事のような個人作業でもそうだ。自然のサイクルの中に、自分の存在を位置づけることができる。
上記の通りだと僕も思う。
「仕事とは何か?」という定義は文脈によってケースバイケースではあるけど、上記のような文脈においては、「お金を稼げるか?」は要点ではない。お金を稼げるかどうかは成果物を換金する経路があるかによる。お金を右から左へ移していくだけで莫大に稼げる一方で、自分の子供を赤ちゃんから立派な成人になるまで育てる偉大な仕事を成し遂げても別に稼ぎにはならない。
自分のことを「必要な存在である」と思わせてくれる活動。そういう意味での仕事は、否が応でも社会に属して生きていかざるを得ない現代人にとっては、重要な要素だ。だから、変に斜に構えて「仕事なんてしたくないっすわー」とかなんとか言ってないで、真っ当に何かしらの、上記の意味での仕事は模索していくほうが、充足した人生を送る上で自分のためにもなると思う。