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何もしないをした / 文学フリマ東京39前日
もう11月も最終日。時間が経つのが早すぎる。僕の感じる時間の早さと実際の早さが一致していない。まだ5月ぐらいだと「まあ、そのぐらいだよね」とシックリくる。
何もしないをした
今日は朝から電源オフの日だった。本を書いていないし、読んでもいない。朝からボケーっとしながら「なんか、今日はひたすらのんびりしたいなあ」という気持ちになった。
理由は確実に、『会社を辞めて生き方を変えると決めてからの3年間(仮)』を昨日概ね完成させたことによる。まだ完成はしていないものの、「これ、完成しないんじゃないか。途中で破綻するんじゃないか」「ゴミに思えて出版不可な代物にしかならないんじゃないか」という不安はもう乗り越えられた。読者様の期待に応えられるものかは未知であるものの、僕が書きたい作品には到達できそう。その達成感と、安堵感。安堵感のほうが大きいように感じる。
ということで、朝から家でボケーっとしていて、そしたら昼になっていたので昼食を食べ、ボケーっとすることを再開しようとしたのだけど、雲一つないと言いたくなるほどの快晴だったので、せっかくだから外でボケーっとしようと思い、お出かけした。先月購入したマイカーで、富士山の良く見える公園へ。
残念ながら富士山の部分には雲が引っ掛かりあの雄大な姿は拝見できなかったけど、それでもやっぱり外はいい。
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外で椅子に座りながら何もしないをするのが最高に好き。
繊細で小心者で常識人で、しかしその一方でやたらと自分および自分を取り巻く状況を客観視して言葉を並べ立てながら分析しては「これがおかしい」「あれが変」「こうあるべき」とばかりやっている僕という人間は、ただ生きているだけで何かと思い悩むことが多い。
最近もこの先の人生の選択について悩んでいる。大別すると3つの道があり、しかしそれを今ここで書きだすと猛烈に長くなるし未整理なので置いておく。人生の道に正解はない。そして巻き戻しもできない。だから迷う。
会社を辞めて抜本的に生き方を変えたつもりではあるけど、別に今に確信はない。不安になりながら、それでも自分に合っていると思える道を選択してきている。
そんな僕も外で何もしないをしていると、言葉の世界から一時的に解放されて、「まあ、なんでもいいでしょー、なるようになるわい」と思えてリラックスできる。
ところで「何もしないをする」という表現って僕のオリジナルだと思っていたのだけど、今ググってみたら、世界的に有名な「くまのプーさん」の名言だったらしい。そうなのか。今までずっと自分のオリジナル表現だと思い込んで内心でドヤ顔しながら使っていた。きっとどこかでプーが言っているのを見聞きしただけであろうくせに。
「何もしないをする」とは、ただ「何もしない」とは明確に異なり、意識的に「何もしない」を実行する、という意味で僕はずっと言ってきた。マインドフルネスとか瞑想と近いけど、それらよりもっとずっとゆるいイメージ。時間や空気や景色が流れるに身を委ねる。その他、周囲の全てに身を委ねる。自分の外にも内にも一切の何かを主張しない。働きかけない。自分を自然と一体化させる。そんな感じだ。すると自分より圧倒的に大きな存在の一部である感覚を五感で得られ、「ちっぽけな自分の迷いなんてどうでもええわ、好きにしろ」となれる。1時間ぐらいしか効果は持続しないが。
文学フリマ東京39前日
いよいよ明日、文学フリマ東京39。出店する側としては初めての参加だ。
どういうことになるのかまったく予想できない。1冊も売れないことも普通にあり得るし、案外と50冊全て売れることもあるかもしれない。参照する経験がないからわからない。
入場するのに要する時間、入場してからの流れ、ブース設営完了してから入場開始まで何をしていればいいのか、開始してから誰もこないであろう大半の時間はどういう表情をしながらどこを見ていればいいのか。
何もわからない。こうやっていちいち事前に色々考えて不安になる。僕は本当に無駄に客観視して考えすぎている小心者なのです。小心者の心を突破するほどの言語化が頭の中で生まれたときに、大胆な行動をする、という仕組みで成り立っている。
あと、タイミングが悪いことに今日、手の乾燥によって右手人差し指の第一関節であかぎれを起こし、血が出てきた。絆創膏を貼っているけど、すぐに埃で黒く汚れてくる。
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絆創膏の黒い埃か、手の赤い血か。そのどちらかを晒すはめになる可能性が出てきた。どちらかを選ばなければならないとしたら衛生面でまだ前者なのだろうけど、なるべく避けたい。普通に血の出ていない素手でありたい。あかぎれに塗ると良いらしい薬をよくすりこんで、早く寝ようと思う。