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色々乗り越えて~卒園~

一昨日、息子の卒園式だった。
涙脆い私は夫から
「また号泣するんだろ?マスクの替え持っていきなよ(笑)」
といじられたが、ものの見事に一滴も涙を流さなかった。

なんだろうか…
ただただ息子がこの1年よく耐えて、齢6歳にして人間の嫌な面に直面していたことを、そばで見ているしかなかった不甲斐ない母親という申し訳なさからかもしれない。

ほかのママたちのように成長した姿に酔いしれ、感動と感謝の気持ちを持つ余裕すらなかった。

入園当初はまだまだ小さくて、園バスも給食もない園で毎朝お弁当を作り、自転車で送迎するのは大変だったが、慣れたらなんてことなくなり、トミカを持っていくと離さなくて困ったこと以外はスムーズな園生活をスタートさせていた。
息子も幼稚園が楽しく毎日全力で遊び、帰宅後疲れきってお昼寝をしていた。

私は初めてのママ友世界に必要以上に身構え、頑張りすぎていた。
誘われれば連日ママたちとお茶やランチをし、お迎え時には華やかなママたちの装いを褒めちぎり、そしてひとりで勝手に疲れていた。

息子に対しても「ちゃんとさせなきゃ!」という想いが強かったかもしれない。


年中はコロナが流行り出したことで、幸か不幸かマスク生活になった。
顔を半分隠して幼稚園に行けることは、私にとって気持ちが幾分か楽になった。

幼稚園の対応に疑問と猜疑心を持ち始めたのはこの頃からだった。

ある日、登園中の自転車でトラックの前方不注意でもらい事故に遭い、大ケガをした。
私は全肋骨の骨折、息子はヘルメットとベルトのおかげでミラーがおでこに当たったもののたんこぶ程度と左太ももの軽い肉離れというもので、しばらく幼稚園に通えなかった。

事故現場を通りかかった、あまり親しくはなかったママ友でさえ、事故状況を目の当たりにして涙し、心配だからと救急車に同乗してくれたのに、幼稚園からは特に連絡すらなかった。
そのママ友があまりにも幼稚園の対応がひどいと直談判してくれたことを後日聞き、その後動けない私のスマホは幼稚園からの着信で埋まることになった。

第一声はお見舞いの言葉ではなく、登園中の事故で園外のことは幼稚園には責任がないことを告げられた。
もちろんその後心配の声やお見舞いの言葉は掛けられたが、まったく心には残らなかった。

この事故がきっかけで、このママ友とは親子共々仲良くなったことだけが不幸中の幸いだった。


年長はクラスメートとゴタゴタがあり不登園になったが、担任は揉めた子の方がお気に入りだったようで、無視や嫌がらせについて何度も相談したが、「神様が見守って下さいます」以外、特段対応はしてもらえなかった。

卒園式前日に担任が差別をする人だと先輩ママから聞き、親として正しい選択をしていたか、もしかすると無駄につらい経験をさせてしまっていたのかもしれない、と申し訳なく感じた。

小学校までの間どこか別の幼稚園なり施設に通えるところを探したが、幼稚園は義務教育でないからか、不登園の子に対する駆け込み寺的なところがなかった。

転園も2学期の途中からだと受け入れは難しいらしく、息子と相談して休み休み登園したが、ここで疑問に感じた。

どうして被害者ばかりが窮屈で嫌な想いをしなければいけないのだろうか?

今回のことも受験やらなんやらで病んでいたのは相手の子で、息子を無視して嫌がらせを始めたのも向こう。
もしかしたら子供同士でなにかあったのかもしれないが、だからと言って陰湿な態度をずっと取られる謂れはない。


最後の集合写真、最後の最後で彼ら親子ととなり同士になった。
(なんで最後までとなりなのよ…)
ここまでくるとちょっと笑いがこみ上げてきそうにもなったが、敢えてこの上なく満面の笑みでカメラのレンズを見つめた。

とにかく終わった。
やっと終わったんだ!、
そして帰宅後、一言挨拶を残し、そっとLINEのグループを退出した。

長かった幼稚園生活が幕を閉じた。

もうママ友はお腹いっぱいだ…

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