長岡の老舗醸造蔵「柳醸造」と、SUZUのはなし
こんにちは!The SUZUTIMES編集部の これえだ です。
今日の内容は、少し遡ること昨年11月のお話です。
昨年(特に後半)は、SUZUにとって大きな動きがありました。そのうちの一つ、柳醸造さんとのお話をご紹介します。
2024年の11月30日をもって、SUZU GROUPは長岡の老舗味噌蔵「柳醸造」の味と技術を継承することとなりました。
柳醸造はSUZUで働くスタッフにとってとても馴染みのある醸造蔵の一つ。以前から、ほぼ全店舗で柳醸造の看板商品でもある「コシヒカリ玄米みそ」を使わせてもらっていました。
そんな柳醸造さんから、事業を終了するというお知らせが来たのは2024年春のことでした。
そこから同じ年の秋にはこの動きがまとまって実現されたので、社内でも驚く声があがるほどのスピーディーで大きな動きでした(笑)
今振り返っても、それだけSUZU GROUP代表である鈴木の想いが強く、熱意でここまで話が進んだ、ということがわかりました。
前置きはここまでにして・・・
ここからは、柳醸造の代表を務めていらした柳 和子さん(以下、柳さん)へのインタビューをお届けします。
※インタビューは10月下旬。内容は当時のものです。
── 本日はお時間をいただき、ありがとうございます。よろしくお願いいたします!
こちらこそ、よろしくお願いします。
── 早速なのですが、ここまでに至る経緯といいますか・・・鈴木(SUZU GROUP代表)が話すのは聞いているのですが、【SIDE 柳さん】のお話を伺っても良いでしょうか?
はい。まず、「みそづくりをやめます」という宣言をしたんですね。
実は2年ほど前から考えていたことでした。
娘は別の業界で仕事をしていますし、跡を継ぐ者がいないのでいずれはやめないといけないなぁと、ずっと思っていました。
── そんな前から!
そうなんです。
残念なことに、味噌業界は“伸びない”と言われています。
もちろんなくなりはしないと思います。
ただ、機械が壊れたり、後継者を考えたりするタイミングで辞めることを選択する同業者は多いんですよね。
── なるほど。
そして、今年(2024年)の5月に辞めますという発表をさせていただきました。
でも会社の子たちが「店舗は続けたい」とか「作れるものは残したい・続けたい」という声があり、柳醸造株式会社はたたむけれど、どうにかして継続したいと考えていたところでした。
── そこに鈴木がお声掛けしたんですね。
ここで作れないなら、どこかで作ってほしいなと思っていました。
「それなら、自分が作れないかな」という相談をしてもらったんですね。
── 正直に、相談を受けたときはどういう印象でしたか?
鈴木さんは発酵をキーワードに動いていらっしゃるので、理解してくれていると思いました。
熱い気持ちがあることもわかったんです。
なので、やってもらえるならやってほしいとお答えしました。
ただ、忙しい方だから、できるのかな?とも。
「製造専門で携わる人間が、少なくとも1人はいないと厳しいですよ。」と、正直にお伝えしましたね。
── それはそうですよね。理解や共感をしていても、技術をもっているわけではないので・・・ただ、想いが強かったというのは想像できます(笑)
私たちもたくさんお味噌を使わせてもらっているので、「なくなったら困る!」とも思ったはず。
従業員からそういう声が上がったのも嬉しかったです。
玄米みそは、主人のお父さんにあたる当時の店主が、工場長に相談したことから生まれたお味噌なんです。
玄米から麹をおこすってとても大変で。今も玄米味噌と謳っているものでも白米でおこした麹に玄米を足しているパターンもあるんですよ。
うちはそれを玄米だけでやることに成功したので、その技術を残したいと思っていました。
── 全国にファンのいるお味噌。やっぱり美味しいですもん。
事業終了を惜しむお客様の声をいただきました。
私としては、三島(長岡市吉崎エリア)の地域から企業がなくなることも寂しく思っていました。
この辺は酒屋さんもあるし、醸造蔵もある、発酵で栄えていた土地。
そこからまた蔵がなくなるのは地域全体で見ても良くないなと。
── なるほど。辞める覚悟に至るまでも相当悩まれたはず。
工場を大きくすると量を販売しなくてはいけない。
問屋さんを通すと、価格が低くなりがちで、薄利多売じゃないですけど、営業面ではなかなか厳しいところがありました。
昔ながらの作り方をしている私たちのような蔵は特に。
先ほども言いました、機械の故障をきっかけに蔵を閉めざるをえないところも多くあります。
── そこにSUZUが入ると・・・今までの売り方とは変わる部分が出てきますよね。
はい。利益のあがらない部門を清算して、少しずつでいいので手作りで丁寧に作った商品を届けられればと思っています。
その鈴木さんの考え方はとても好きなので、全面的に賛成しています。
今までよりも届ける人は少なくなってしまうかもしれませんが、その分お客様の声が聞こえやすくなるので、長く愛してもらえるようになると思っています。
── 目線が一緒であると伺えて、私もスタッフとして嬉しく思います!
ここでちょっと柳醸造のことを今一度伺いたいのですが・・・なぜお味噌づくりを?
始まりは江戸時代です。
この辺(三島地区)の方は、作ったお米を売り買いしていたのですが、明治時代に入り「それでは売上が左右されるから」と、お米に麹をつけることで麹売りとしての商売を始めたのが創業のきっかけです。
それから、当時の当主だった、6代目栁助蔵が醤油屋さんに修行に行き、大正10年に醬油の製造業を始めました。
── そこから発酵を扱うようになったのですね。
まだまだ物々交換が行われていた時代。自分の家で作ったお米と大豆を持ってくるお客さんもいて、たまたまうちに原料があったからお塩だけ買って味噌づくりを始めたと聞いています。
── お味噌からじゃなかったんですね。しかもたまたまあったからって(笑)
当時は家庭で味噌を作っていた人も多かったんですよ。昭和の初め頃まで、70〜80kgの樽を持っているお家があったそうな。
仕込み味噌を買ってきて、自分の家で熟成するというお客さんがたくさんいました。
醤油はそうではなかったので、商売としてはそっちが先だったんでしょうね。
昭和50年ごろ、新潟の醤油屋さんが集まって共同工場を作ったのを機に、醤油の製造はそこに任せ、味噌づくりだけが残りました。
醤油の瓶詰め工場を味噌の詰め場にかえたりして、味噌が大きくなったんです。
── ふむふむ。その後にお漬物もつくられていますよね。
はい。昭和55年、長岡に新幹線が通ることになり、いわゆる駅ビルにお店を出すことになりました。
当時は小売店がなかったので、初の出店に向けてその際にお味噌以外の商品も置けるようにとお漬物をつくり始めました。
── すごい、長岡の時代の流れや歴史とともに、柳醸造も進化してきたのですね。SUZUと合わさることで、さらに進化するきっかけになるといいなと思います!
そうですね。
柳をたたむ話を聞いて「どうにかして残したい」と言ってくれた社員さんにも、不安があったと思うんです。
それが、鈴木さんというバックボーンがついて、安心する気持ちがありました。
── 一緒に進化できたらと!
それが、私は「一緒に」とは言っていないんですよ。
もう、鈴木さんに託す気持ちで、「やりたいようにやってください」とお伝えしています。
── なるほど・・・ちょっと寂しい気もしますが、そこまで言ってもらえるのは嬉しいことでもあると思います。
では、これだけは!ということはありますか?
うーん、“柳のこころ”のようなものは受け継いでもらいたいと思いますね。
先人の気持ちや知恵を引き継いでいるので、元々にあるものは変えないでいただきたいと思っています。
そういう気持ちは鈴木さんからも感じるので、全く問題ないと思っていますよ。
── ありがとうございます。柳さんと柳醸造の想いをしっかりと受け継いで、新潟のいいものと、もっとワクワクすることをお届けできるよう、私たちも頑張ります!
私たちのお店を支えてくださっていた柳醸造さん。
そのおいしさや味わいに支えられている方が全国にいらっしゃることを知っていましたが、その理由に改めて触れられた気がしたインタビューでした。
私たちに欠かせない食品を造っている老舗蔵の抱える現状を伺うこともできましたが、日本各地には、同じ危機に面している作り手さんも多いのではと思いました。
少し寂しくも思いましたが、地域の食と向き合う会社として今回のお話もまるっとこれからに受け継いでいけるように。
私たちの動きが、そういった作り手さんを守ることに少しでもつながるように。
そう思いながら頑張っていきたいと思います。
これからのSUZU GROUPと柳醸造にも、どうぞご期待ください!!
これえだ