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Oublieーウーブリーフランス菓子の起源を求めて②

中世修道院派生のお菓子。ウーブリとその歩み

前回の投稿で、ウーブリがミサの際に拝領された聖体パン(ホスチア)から派生したものであり、神聖なるパンから世俗的な意味の食べ物=フランスの『おやつの起源』であることを説明しました。また、ワッフルの起源である。などということもお話しました。

日曜日、祝祭日に売られるようになり、庶民に普及していったウーブリですが、それを始めに、ニュール、エショデといったお菓子(パン)も普及していくのです。後者に並べたお菓子の紹介は後程。。

ウーブリにスポットを当て、その歩みを見てゆきましょう。

ウーブリ  二枚板で挟んで焼く非常にシンプルなもの。

ウーブリ 型

写真は神戸のエーデルワイス本社にあるエーデルワイスミュージアムに所蔵されているウーブリの型。ホスチア(聖体パン)から派生したおやつ。始めこそキリスト教の要素の強い模様が多くあったが、型の模様はバラエティーに富んでいる。現在ではコレクターもいるとか。。。始めは丸い形であったウーブリも時代と共に形を変えていく。

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こちらのイラストは『王のパティシエ ストレールの語るお菓子の歴史』の挿絵。リヨン発祥の円錐形のウーブリ。別名はpaisir(プレジール)とも呼ばれ、現在でもアイスのコーンとして形を残しているといえる。

次に、レシピからウーブリの歩みを伺う。

Le Ménagier de Parisで紹介されているというウーブリのレシピ

dans la première, la farine mêlée d’oeufs est délayée avec du vin ; dans la second, une tranche de fromage est mise entre les deux couches de pâte liquide ; dans la troisième le fromage râpé est incrorporé dans la pâte ; et dans la dernière, la fleur de farine est détrempée à l’eau mêlée de vin .

 一番目、卵と混ぜた小麦粉をワインで溶く;二番目、チーズの薄切りの間に液体状の生地を置き寝かせる。;三番目、生地の中にすりおろしたチーズを組み入れる。;最後、極上の小麦粉をワインで混ぜた水にひたす。

これは教会の入り口で売られていたもののレシピであるそうだ。このレシピを見たところ、蜂蜜などの甘味の要素はあまり見受けられない。ウーブリが教会で売られるようになったのは13世紀といわれている。つまり、13世紀ごろのウーブリは、甘味の成分が含まれていなかった可能性が高い

次は、ウーブリから派生したゴーフルのレシピ。

Les gaufres plus fins comportaient toujours des jaunes d’oeufs ; au ⅩⅤⅠe siècle on les saupoudrait de sucre. Au ⅩⅤⅡe siècle, la farine des gaufres du pâtissier français se délayait surtout au beurre fondu, au lait ou à la créme. Un siècle plus tard, le poids de sucre égale celui de la farine et ce mélange se délaie au beurre fondu ou à la créme jusqu’à la consistance voulue (Menon,1750,p.472) .

薄いゴーフルはいつも卵黄を含んでいた;16世紀には、砂糖を振りかけるようになる。17世紀にはフランスパティシエのゴーフルの小麦粉にとりわけ溶かしバターや牛乳、生クリームを溶かしていた。更に1世紀後には、砂糖と同量の小麦粉、これを混ぜたものに溶かしバター、または生クリームを溶かし、粘り気のある状態にまでする。

このレシピを見ると、16世紀には砂糖が加えられ、17世紀には溶かしバターやクリームが加えられるようになり、更に18世紀になると、砂糖、小麦粉、バター、生クリームのレシピが定着していることが見受けられる。砂糖が広まり出したのは14世紀ごろから(大航海時代)、ウーブリからゴーフルの年代毎のレシピと比べてみても、お菓子に甘味が加わりだしたのは14世紀から15世紀頃であり、16世紀頃にその甘味が確立し出した、ということがいえるのではないだろうか。

このようにレシピを時代で比べると、その差は歴然である。ウーブリ→ゴーフルと、お菓子が形を変えたこともあるが、このようにウーブリの歩みを見ることは甘味の普及の歴史を遡ることにもつながるのです。

oubloyer ウ―ブロワイエ ウーブリ職人について

かつて、修道院で作られていたウーブリは、庶民の手にわたるようになり、専門の職人が登場します。それが、oubloyer-ウーブロワイエと呼ばれたウーブリ職人。

1207年。同業者組合リストに初めてウーブリ職人が登録された。そのころには、修道士ではない一般の人=職人によりウーブリが生産されるようになっていた。1270年には同業組合ができた。『フランス、食の辞典』によると、この組合に加入できる条件は以下の通りであった。

加入するには5年の修行と10リーヴルの加盟料、1日に1000枚焼く能力が必要だった

この職人たちは、修道院の監視下のもとで働いていた。初めは厳しい監視下にありながらも、「ウーブリ税」という税をいくらか払うことで、徐々に街中で屋台を出し、売り歩きをするという形態が一般化していった。

この「歩き売り」がウーブリの普及に一役買っていたのだった・・・

今回はこの辺まで。「歩き売り」によるウーブリの普及と現代までの流れはまた次回にしたいと思います。

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